コラム

2009/06/17

消えた花壇に見る長寿命(群馬・HM)


▼愛犬との散歩コースの途中、庭先をきれいにした邸宅がある。あいさつ程度の間柄だが、ご夫婦と数人のお子さんがいるほか、おじいさん、おばあさんが同居しており、花壇を手入れしているのはおばあさんということは分かった。季節ごとに咲く美しい花々が散歩中のちょっとした楽しみになっている

▼ある日、通りかかるとその花壇が消えていた。コンクリートを打って駐車場にしてしまったのだ。その家の子が免許を取って車を購入したようだ。色とりどりの花が咲き乱れ風に揺れていた花壇は、味気ない灰色に変わってしまった

▼家庭にはそれぞれに事情があり、それを分かり得ない他人がどうこう言える筋ではないが、あえて言わせてほしい。「もったいない」と。おそらく数年すれば子どものうちの何人かは就職あるいは結婚で家を出ていくだろう。コンクリートの駐車場はその後どうなるのか

▼現在、住宅の長寿命化が叫ばれている。ここでいう寿命とは、構造的な寿命はもちろん、機能的な寿命も含まれる。つまり、家族構成の変化に家が耐えられるかどうか。いかに自由度があるかが重要になってくる

▼前記の家。もしかしたら駐車場として使われるのは数年間だけかもしれない。車は汚れるかもしれないが、砂敷きなどにすれば、いずれ再び花壇に戻すことも可能だったのではないか。現在の利便性だけを追求するのではなく、将来的な利用法を考え、柔軟性を残すことにも目を向けたいものだ。駐車場の隅に置かれたプランターに薄桃色のブーゲンビリアが揺れていた。あの花も本当は地面に根を張りたかっただろうと思えてならない。(群馬・HM)

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