2009/06/26
開国期の日本人(茨城・KK)
▼江戸末期の安政5年6月19日締結された日米修好通商条約を受けて翌安政6年(1959年6月2日・新暦では7月1日)、長崎、函館とともに横浜が開港した。横浜では現在、開港150周年を祝い、盛大な記念イベントが開催されている
▼「太平の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰)。たった4はいで夜も寝られず」―嘉永6年(1853年)ペリーが浦賀に来航した時分の横浜は人口たった800人の寒村だった。開港時はようやく2000人を超えた程度。以後開発が続き、現在は人口358万人の日本第2の大都市に
▼外国人が当時の日本人をどう見ていたかを知る資料としては『逝きし世の面影』(渡辺京二著・平凡社刊)が出色だ。ペリーに次いで来日したハリスが伊豆の下田で見た風景を「人口500ほどの小さな漁村なのに実に清潔に保たれている」、初代駐日英国公使オールコックは熱海近郊の様子を「これほど容易に生活に満足する人々も珍しい」、日本学者の英国人チェンバレンは「日本には貧乏人はいるが貧困は存在しない」と19世紀の欧米人に古き日本の特性として印象づけられている
▼開国、文明開化そして富国強兵、敗戦、戦後復興…今日まで、多くの先人の努力のお陰で日本は豊かな国になった。不況には違いないが、衣食住に困ることはない。世界的に見れば、現在の日本人は、生まれながらにして、大きな恩恵を受けているのでは
▼「ことごとに『日本』を問題にしなければならない状況にうんざりする」と著者の渡辺氏。今の日本は素晴らしい国に違いない。各人が、ちょっと立ち止まり、自らのモラルを省みさえすれば…。(茨城・KK)