コラム

2009/11/19

物的より内なる壁(埼玉・YW)


▼先日、20年来、自らに課した約束、文字通りこの「秋」に終止符を打つべくベルリンを訪れた

▼思えば20年前、ベルリンの壁が破れドイツ、いや世界が変わろうとしている瞬間、当時学生だった筆者は親から旅費を借り、ベルリンの壊れたばかりの壁を見たい一心で出かけた。そして周囲の若い男女を見かけては、「20年後の11月同じ日に再会してくれませんか」と声かけて歩いた。「覚えていないだろ」「日本から本当に来るのか」と言われ断られたが、自らは20年後の11月に来ることを決心したものだ

▼その時、変化をもっと表情だけではなく、経緯、背景、問題等は正確に伝えたい。何か考えるきっかけを投げかける職業につきたい―と強く感じたことを思いだした。しみじみと感じたことは、壁は崩れたが、「何をしているのか分からない、東の方は能力がない」「東のための税金が設けられてるんだ」とレストランとタクシーの運転手の弁。確かに課題として当時も国のシステムと東ドイツのためのフレンドリータックス、連帯税とでも約すのかが遡上に上がっていた

▼要は、壁はなくともどこか疑心暗鬼や心の意識、それも差別意識が作用しているのだ。つまりモノよりハートの変化は困難であるのだ。それはすべてに該当する。例えば、建設業は染み付いた建設の魂、モノづくりの心が存在し、異業種の転換は頭で分かっても踏み出せない。こだわりという壁を破れないのだ

▼我々記者も、各企業も同じ。過去の蓄積とレールの踏襲が最も楽である。しかし時代は変化している、時代に合った施策を見出し挑戦する心が必要だ。大きな壁にしてはいけない。(埼玉・YW)

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