コラム

2010/01/19

何故、私は走るのか(茨城・HN)


▼沿道から声援が飛び交うなか、選手と選手をタスキがつないでゆく。ことしも、正月休みに箱根駅伝が行われた。この恒例行事をテレビで見ると、新しい年に入ったと実感する。だが、なぜかじっくりと見る気分になれなかった

▼そんな筆者も、この時期には毎年、マラソン大会に出場している。会社のつき合いで始めて、ことしで6年目。ある種、義務感のようなものにかられながら、なんとか続いている。フルマラソン出場者から見れば笑われてしまうような10?の道のりだが、これが正直言って、けっこうしんどい

▼ことしも正月太りの解消を含めて、国道沿いを軽く走るなど練習を始めた。すると、普段の不摂生と練習不足のためか、すぐ息切れし、立ち止まりたくなってしまう。いつもの事だが、なんでこんなにつらい思いをしなければならないのだろう、もう止めてしまいたい―という葛藤が心を揺さぶる

▼しかし、目標地点まで走り終わった後、このつらい気持ちから徐々に開放されていく。そして次第に、すがすがしい気分へと変わっていくから不思議なものだ。その時、忘れかけていた気持ちがよみがえってきた。「ああ、この達成感を味わいたくてマラソンを続けているんだ」。何物にも代え難い爽快感は経験者ならではの特権だ

▼とかく、人間はつらいことから、すぐ目を背けようとしがち。箱根駅伝を見る気分になれなかったのも、仕事をする自分の姿をランナーと重ね合わせていたからかもしれない。つらいことから避けたいと思う気持ちは誰しもあるが。ことしの干支は、千里を走る寅年。?突っ走る年?でありたいと思っている。(茨城・HN)

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