コラム

2010/01/20

年賀状について(長野・SK)


▼今年は世間の風潮と同調するように極寒の大寅の年明けとなった。元旦は初売りのチラシを眺め、年賀状に眼を通す。大束のチラシに誘われテレビを買いに列に並ぶかと思いきや、少しでも寒さを凌ぐ場所を求め、右往左往する姿がテレビから流れ、気力が萎えてしまった

▼しかし届いた年賀状には不景気を思わせるものは一枚も無い。年賀状は自宅で簡単に作れるようになったこともあり、実にカラフルである。子どもの成長写真や近況を知らせる言葉などが添え書きしてある

▼年賀状書きは年の暮れの大掃除と一緒で「早く書かなくては」と気ばかりが焦ってなかなか進まないもの。昨年の年賀状を一枚一枚見ながら、卒業以来一度も会っていない友人から「元気してる?今年こそ会いたいね」の添え書きに、「元気だよ。本当に会いたいね」と一年越しの返事を書く

▼毎年干支だけを変えて「今年は寅 めでたいね」と大きくたった一言。「なにがめでたいんだよ」と苦笑しながら「うん、めでたい」と毎年同じ言葉を添える。なかで感心するのは、自筆の筆字でまん中に堂々その年の干支だけを書いてくる。それは見事な達筆である。ほかに何も書かれていないが、それだけで本人の人柄が見える思いである

▼今年は姉への年賀状を書いたが出しそびれてしまった。年賀の挨拶に訪れたとき「あなたの年賀状はきていないが、書かれた一言が楽しみなものよ」と念を押されてしまった。たしかに印刷やはんこばかりでは、ただの義理年賀でそっけない物になる。書くときは面倒だが、届いてみるとうれしいものだ。新年早々反省しきりである。(長野・SK)

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