コラム

2010/05/15

ミヤイリガイの碑をのこす(山梨・RA)


▼杉浦建造・三郎父子をご存じだろうか。大正から昭和にかけ、甲府盆地を中心に流行した「日本住血吸虫病」という、寄生虫から感染する地方病の研究に尽力した。このたび、山梨県昭和町が父子の研究所でもあった杉浦医院を保存することになった

▼日本住血虫病とは、水田の側溝などに生息しているミヤイリガイを通じ、寄生虫が皮膚に入り込むことによって感染する病気。皮膚炎に始まり、次いで下痢や発熱を発症。特に肝臓への影響が著しく、最終的にはこの病気の特徴となる腹水症を起こして死に至るという。感染後の治療はほぼ不可能なうえ、患者は激痛に苦しむ

▼結構なことなのだが幸い、日本ではこの恐ろしい病気はすでに無くなったとされている。というのも、国や地方が側溝への殺貝剤の散布や、コンクリート化による衛生面の強化に力を入れたため、ミヤイリガイがほぼ絶滅したことに起因するようだ

▼筑後川水系のミヤイリガイの最終確認地である福岡県久留米市には、絶滅したミヤイリガイの慰霊碑というものがある。人間の都合で絶滅に追いやった貝の霊を追悼するのが目的らしい。慰霊碑には「人間社会を守るため人為的に絶滅に至らされた宮入貝をここに供養する」と記されているが、貝に人格を認めて追悼している所が面白い

▼また、「碑」とは、辞書によれば「事績を後世に伝えるため、文字などを刻んで建てる」ものだ。慰霊碑を建てた人達は何を伝えようと思ったのだろうか。杉浦医院も、数少ない寄生虫の病気を語る「文字無き碑」として、後世に歴史を語るような場所になることを切に願って止まない。(山梨・RA)

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