コラム

2010/10/16

無料化されゆくものとは(山梨・RA)


▼「君のとこの新聞、見たことあるよ。iPadで」つい最近、取材先の市役所でこんな言葉を投げかけられた。どうやら、購読者が必要な新聞記事を独自にデータにして、いつでもどこでも読めるように持ち歩いているらしい。思わず「へえぇ」と驚いてしまった

▼iPadとは、米アップル社が販売するタブレット型コンピューターで爆発的に普及しつつある。多機能で、なるほど、大量の新聞を持ち歩くより、これ一つにデータを入れて持ち歩くのは楽だし非常に便利だ。技術の進化を目の当たりにする思いだ

▼データが社会の中で重要な役割を持つ割に、コピーできるデータへの課金に対しての抵抗は減らない。法の網もまだ粗く、規制が追いつかない。そのうちに、データ化できるものは無料で配信されることが当然だという認識ができてしまった。その証拠に、真っ先にデータ化の波が押し寄せた音楽業界は、その手法を改めざるを得なくなっている

▼このほかにも煽りを受けた職業がある。出版業界だ。インターネットが普遍的なものになる前は、小説や漫画などの作品を流通させるためには必ず出版社を通し、本という形にしなければならなかった。しかし今では、ホームページやブログを通じて誰でも作品を流通させられる

▼従来、見ることに価値が置かれたものが、データ化の波に飲まれ「買って見るもの」ではなく「ただで見るもの」に変化しつつある。データそのものは簡単にコピーができてしまう。しかし、そのデータを作るまでには多くの労力がかけられているはずだ。我々は、それを無料化しても良いのだろうか。(山梨・RA)

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