コラム

2011/01/29

だれのための環境保護(東京・HM)

だれのための環境保護

▼下水道の維持管理会社の社長から「下水道は日本の大静脈」という言葉を聞いた。なるほど、言い得て妙だ。下水道は裏方的な存在だが、快適な生活には不可欠。その重要性は「大」の文字にふさわしい。

▼静脈を流れた下水が行き着く先は処理場。ここで再びきれいな水になり、河川に帰っていく。水処理のノウハウを身につけたのは先人の努力だが、実際にきれいにしているのは微生物。信じられないような物質を「エサ」にして生きている微生物の能力をお借りしているのだ。

▼先日、NASAがリンの代わりにヒ素を利用して生きる微生物を発見したというニュースが流れた。すべての生物は、リンがない場所では生存できないと考えられていたのだから大発見だ。ヒ素濃度の高い湖に「当たり」をつけて調べたところ発見されたという。たくましい。微生物は地球上のいたるところにおり、微生物のたくましさは地球のたくましさと言える。

▼環境破壊が進み、地球に優しくなどと言われているが、このまま環境の悪化が続き、仮に人類がいなくなったとしても、地球はビクともしないだろう。数千年、数万年後にはたくましく元の姿に戻っていると思える。環境とは、あくまでも「人にとっての」という意味。

▼下水道を大静脈に例えたが、もっと広い視野で見れば、雨が動脈で河川が静脈と見ることもできる。そのダイナミックな循環に比べれると、大動脈とは言え人の作り出した循環はやはり小さい。地球を救うという「上から目線」ではなく、自分の身を守る、人のための環境保護という目線の方が、これからのエコには必要では。(東京・HM)

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