コラム

2011/03/01

どこまで許せる?懐の深さ(茨城・HS)

どこまで許せる?懐の深さ

▼「突尼斯」や「也門」という文字を見てピンとくる人は、かなりの漢字博士に違いない。「埃及」なら少しは正解率が上がるかもしれないが、こちらも難解であることに変わりはない。読み方はそれぞれ、「チュニジア」、「イエメン」「エジプト」。懐が深い人でも『いくら当て字でもこれはムリ』ではないか。

▼「阿留世里屋」くらいになると、多少の力技を駆使して読み解くことができるかもしれない。音をそのまま当てて「アルセリヤ」→「アルジェリア」。もう1つの書き方「阿爾及」の方は、やはり記号として憶えておかなければ読めないだろう。

▼今、これらの国では歴史が変わろうとしている。チュニジアの?ジャスミン革命?を皮切りに各国で反政府暴動が発生、現政権はデモ隊の鎮静化に追われている。エジプトでは大統領が辞任に追い込まれ、独裁国家のリビアでは軍隊までも離反し始めた。

▼暴動が発生した理由は国によって様々だが、チュニジアでは失業者の焼身自殺事件が発端だったように、不況と経済格差が根底にあると考えるのが自然だ。衣食が足りず、その獲得手段もない。それならば最後に残されるのは実力行使しかない。周辺各国のみならず、世界中の独裁者が自国への飛び火を恐れていることだろう。

▼もちろん日本も他人事ではない。いくら我慢の民族と言われるほど寛容でも限界はある。ただ、人一倍のお人好しであるのも日本人。多少の不利益を受容してでも和を重んじるという他国にない美徳を持つ。はたしていつまでお人好しが我慢を押さえつけていられるのか。懐があまりに深すぎるのも考えものかも。(茨城・HS)

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