コラム

2011/05/17

弘道館に思いをはせる(茨城・HN)

弘道館に思いをはせる

▼3月の震災により、茨城県を代表する水戸市の弘道館で、建学の精神を大理石に刻んだ「弘道館記碑」が崩落した。弘道館は国の特別史跡でもあり、その歴史は古い。

▼「慶喜(徳川慶喜)も水戸の御隠居の子である。弘道館の碑に尊王の志をのこした烈公(徳川斉昭)の血はこの人の内にも流れていた」。島崎藤村の『夜明け前・第一部下』の一節でも、弘道館とその碑が紹介されているほどだ。水戸の象徴でもある梅に覆われた弘道館は今も凜としたたたずまいを保っている。

▼弘道館は、水戸藩の藩校として第9代藩主の斉昭により1841年(天保12年)に創設。今で言う総合大学で、藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学や薬学、天文学、蘭学など幅広い学問をとり入れた。第15代将軍の慶喜も、父斉昭の厳しい教育方針で5歳の時から弘道館で英才教育を受ける。1867年(慶応3年)の大政奉還の後、謹慎した至善堂が今も残っている。

▼しかし、今回の震災で、その至善堂と正庁の内外壁が落下・剥離し、雨戸や襖戸などが損傷。弘道館の創設時から立地する学生警鐘の鐘楼も全壊。県は「復旧の見通しはたっていないが、重要文化財であるため、協議を文化庁と進めていく」としている。

▼先日、弘道館の周辺を歩いた。その変わり果てた姿を目の当たりにし、愕然とした。斉昭や慶喜がどんな想いでその時代を過ごしたのか―。歴史に想いをはせながら、その場所を観たいと思う今日この頃だが、叶わない。現存していた建物がいかに歴史的に貴重であったかを改めて痛感する。早急な復旧を望みたい。(茨城・HN)

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