コラム

2011/06/30

震災機会に親交(東京・HM)

震災機会に親交

▼大学時代の知人がいる仙台へ取材に行くことになった。特別仲が悪かった訳ではないが、良いということもない。よく一緒に遊ぶグループだったが、2人で遊ぶ事はまずないといった関係。別にけんかをすることもないが、色々なものの好みや考え方が合わなかった。

▼震災があった時も、こちらから連絡することはなかった。人づてに無事と聞いたので、それでいい事にした。そんな間柄だから、仙台行きが決まった時も連絡を取ろうかちょっと迷った。しかし、滅多にない機会に何の連絡もしないのは、あまりに不義理かと思い電話した。

▼建設関連の仕事に就いているため現場事務所で会った。久しぶりと挨拶し少し話をして、結局そのまま飲みにいくことになった。飲み屋での会話は、震災後の苦労話から、思い出話へ移り、そして仕事や職場の話といった、同世代でなければ通じ合えない話題に。予想外の楽しい時間となった。それは向こうも同じようで「なんか楽しいねえ」を繰り返していた。

▼彼と別れ、一人で飲みながら、なぜ楽しく過ごせたのかを考えてみた。多分、お互い大人になったということなのだろう。しかし、その分トゲのような若さもなくなったと感じる。それがいい事なのか悪い事なのか。酔った頭を悩ませてみたが、そのうちどうでもよくなった。

▼「またね」と去っていった旧友の顔が浮かぶ。「また」がいつになるのか分からない。10年単位の「また」だろうか。その時はどんな会話をして、どんな気持ちになるのだろう。そんな想像をしていたら何となくまた楽しくなってきた。無意識にビールをもう1杯注文した。(東京・HM)

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