コラム

2011/08/27

快適を追うまちづくりを(東京・HM)・

快適を追うまちづくりを

▼庭の片隅にある小さな畑の雑草をむしる。一畳ほどのスペースしかないが、数日前に雨が降ったためか、雑草が見事に成長しており、除草には結構な労力だ。雑草を抜き、肥料を与え、ピーマンをいくつか収穫。その後は芝刈り。隅のほうは芝刈り機では刈れないので、ヒザで歩きながらバリカンで高さをそろえていく。

▼汗だくになり、一連の作業を終えるとちょうど夕方になる。きれいになった庭にテーブルと椅子を出して妻とビールを飲んだ。妻がつくった焼き鳥は「失敗した」と本人が言うように、やや塩がきつかったが、汗をかいた体にはちょうどよかった。近所の人が通りかかり「楽しそうですね」と声をかけていった。

▼住んでいるのは群馬県だが、今年の1月から東京に通勤している。半年が過ぎてつくづく感じるのは、いかに快適性からかけ離れた都市かという点。緑がある場所は限られている。ビルに遮られて空は見えづらく、せまい道路に人と車が集中する。通勤ラッシュ時に、秒単位で駅に入ってくる地下鉄はどれも満員。一極集中の証である。

▼東日本大震災以来、新しい国土のあり方が議論されている。当然「災害対策」としての検討が中心になっているが、その中に快適性というキーワードも是非入れてほしいものだ。

▼焼き鳥がなくなりかけた時、収穫したばかりのピーマンを焼いてきてくれた。田舎に暮らし、ささやかながら庭と畑があるからできる楽しみ。これを田舎だからできること―と片付けるのではなく、どこに住み、どこで働いていても一定の快適性を受けられる国土づくりが望ましいのではないだろうか。(東京・HM)

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