コラム

2011/11/12

我々の道のゆくえ(新潟・HT)

我々の道のゆくえ

▼高校生の頃だ。友人と自転車での帰り道、1台の車が前を塞ぐように止まった。中年男性が「ここは、お前らの道じゃないんだ」と言い放った。どうやら男性は、車道にはみ出し並んで走行していたことを怒っていたようだ。怒られたことも覚えているのだが、忘れないのは、「消費税くらいしか払っていないくせに」と最後に放った捨てゼリフだ。

▼それまで、道路は『みんなのもの』だと思っていた。男性は、『みんなのもの』というマナーの意味で言ったのだろうが。たしかに、車や免許も持っていない高校生は、ガソリン税も自動車重量税も払っていない。マナーの話は別にして、高校生の当時は、男性の一言で『消費税しか払っていない者は、公共物を使わせて頂いている立場なのだ』と考えた。

▼ただ、道路に限らず、すべてのものは、新設されたあとは、老朽化するだけだ。そこには当然、補修や維持管理費が発生する。災害を除いて、道路が無くなることは、考えられない。

▼いつか、積み上げられた経費は、新設費をも上回るだろう。男性が「お前らのものではない」と言い放った道路は、むしろ、これから将来にわたって、その費用を支払っていく『我々のもの』なのではないか。

▼円高の中にあって、ガソリン価格だけが下がらない。道路特定財源に揺れたのは、いつの話だったろうか。ある業者が言った「道路が、いつも快適できれいに使える時代は終わった」と。公共事業費の削減により、新設どころか、維持管理に必要な経費も削減されている。できることなら、道路に限らず、全てのものが将来にわたって快適であってほしいものである。(新潟・HT)

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