コラム

2012/05/23

一年後の被災地を訪れて(群馬・MY)

1年後の被災地を訪れて

▼4月末、父と宮城県の被災地を訪れた。父の故郷は、気仙沼市にほど近い岩手県の山間の村。経済や人的交流でも宮城県との結びつきが強い地域。岩沼市から海岸線へ出て、石巻、女川、気仙沼、陸前高田というルートを車で北上した。

▼父が若いころプラント建設に関わったという石巻の製紙工場は、復旧工事が進行していた。ただ、周りの港町の景色は一変し、家々の土台の四角い跡だけが延々と広がっていた。「ここに酒屋があって、先輩に言われてよく昼休みにジュースを買いに来てたんだ」。コンクリートや瓦、ビン、瀬戸物などの破片が散らばる白く乾いた土地に立ち、父は海の方を見つめていた。

▼津波に襲われた場所は、道路であればガードレールが曲がり、山であれば潮が及んだ箇所まで木々が赤く枯れている。平地では、木造住宅が消え去った荒涼とした景色に、鉄骨のみになったり中身を流されたRC造の建物が点在。がれきが集積された巨大な山では重機が動いている。

▼1万6000人の死者を出した災害の大きさを実感し言葉がなかった。がれきが撤去された土地は、爆風ですべてが消し飛ばされた街にも思えた。一方、少し奥の山々では木材の切り出しが盛んに行われており、本格的な復興への息吹を感じた。

▼90歳になる大叔父は今も山村でリンゴ農家を営む。震災後に水脈が変わり営農用井戸が枯れたため、新たに井戸を堀り直した。大叔母とともに気仙沼へ毎月足を運んでいるという。「(被災地の)10年後を見るまで頑張って農家を続けるよ」。そう言う大叔父のリンゴは、歯ごたえが良く、甘くて力強い味がした。(群馬・MY)

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