コラム

2012/06/21

求める実績の違い(埼玉・YW)

求める実績の違い

▼実績は上がっていることにこしたことはない。しかしその客観的に見える統計データにしろ数字の実績にしろ、使い方はいろいろあり、求める実績も異なり、時には実績が目くらましになることさえある。

▼面白いのは野田総理や、玄葉外相ら内閣、党幹部を多数排出している松下政経塾の最終面談における局面である。同塾の最終的合否は運の良さと愛嬌の良さで決める。野田総理しかり、花の1期生を面談した松下老翁の質問が「これまで運が良かったという実績をあげろ」が最終面談なのだ。

▼一例を紹介する。現在山口県立岩国高校校長の松根氏は「組体操で落ちたが、下の方に拾われ命拾いした」と運の良さをアピール。また、同じ1期生の中には「松下幸之助さんに出会え、運がある」と述べ合格したなど逸話にこと欠かない1期生が多かった。運という実績を求めたもので、通常は学生時代の実績や何をしたかという実績を求める企業が多いが、そうでないことがユニークだ。

▼ところが、一般的な実績は数字上で向上した点をまとめてアピールする。また、企業側もそれを追求し、その数字をどうクリアするか、または数字上の措置をどうするかに頭を使う。つまり判定する側にとっては、客観的で最も公平という、見える数字を根拠とすることで、合理性があると判断する。

▼今、埼玉県庁の職員は、各種の目標クリアのため「これをすることは県民のためなのか、それともトップの実績のためなのか」と悩む姿を多く見かける。真摯に考える職員は判断をためらっていると聞く。実績の意味と使い方には大いに配慮がいるだろう。(埼玉・YW)

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