コラム

2012/09/05

広瀬側とともに(群馬・MH)

広瀬川とともに

▼広瀬川白く流れたり―。大正時代に日本近代詩の父と称された詩人、萩原朔太郎の詩である。彼は前橋で生まれ育ち、身近に流れるこの広瀬川を愛し、その魅力をこの詩に残している。筆者もこの川を愛する1人であり、前橋市街地に生える柳の木々の間を勢い良く流れる薄緑色の豊富な水を眺めていると、時を忘れるような深い趣を感じる。

▼主な水源は渋川市北橘町にある利根川の水門であり、取水された水は前橋市、伊勢崎市を流れ、再び利根川に戻る。上流こそ人工的に造られた用水路であるが、伊勢崎市内を横断する下流では、赤城山麓を水源とする幾つもの支流が合流し、大きな堤防を持つ立派な河川となっている。

▼広瀬川に初めて出会ったのは実家のある伊勢崎市。家のすぐ東を堂々とした姿で流れている。堤防を朝晩に歩くと心地良い。小さいころは友人と一緒に鯉を釣りに行った。また農業を営んでいた亡き祖父は、この川の堰を調節する作業を行っており、水を大切に扱っていた姿を今も鮮明に覚えている。

▼広瀬川は昔からわれわれの生活を潤しており、生活の上で欠かせない存在と言っても過言ではない。心を和ませてくれる豊かな景観はもとより、かんがい、発電でも利用され、大雨による災害からも守ってくれている重要な河川なのだ。

▼何気なく生活の周辺を流れている川。しかし、その川ひとつひとつに必ず意味があり、われわれにかかわっていることを忘れてはならない。これからも、広瀬川は生活に安らぎを与え続けてくれる存在であるだろう。いつまでもこの川とともに生活していきたいと切に感じている。(群馬・MH)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら