コラム

2012/10/03

分水路が紡ぎ出す歴史(新潟・KK)

分水路が紡ぎ出す歴史

▼川と人間の歴史は、水を求めてそれを利用する行為と、水の災禍を防御する行為との積み重ねといわれている。近年、相次ぐ未曾有の豪雨災害を見ていると、現代の治水技術をもってしても、未だに全ての洪水を抑えることができないほど自然(川)の力の大きさを痛感する。

▼新潟市を洪水から守るため、信濃川河口付近に整備された「関屋分水路」は8月10日に通水から40年の節目を迎えた。新潟県といえば「大河津分水路」が有名だが、延べ60万人が工事に従事し、190億円の事業費を投じて約1・8?の分水路を7年かけて掘り上げた「関屋分水路」は、県都・新潟市の住民にとっては、より身近で重要な存在だ。

▼信濃川の氾濫防止とともに新潟港の土砂浚渫を目的に進められた事業は当初、県の事業として着手したが、直後に新潟地震が発生したため、県は震災復興に全力を注ぐ必要が生じ、国の直轄事業に。掘り出した土砂は新潟バイパスの盛土等にも利用され「関屋分水路」のプロジェクトが、まさに現在の新潟市の都市基盤整備を、担ったといえそうだ。

▼「関屋分水路」の整備は約700戸の家屋移転に加えて、病院、工場、商店などを含め、町をひとつ大移動させる必要があったが、移転先となった競馬場跡地で宅地造成が行われたこともあって、移転は比較的スムーズに行われたという。

▼今から約200年前に構想があり、先人の熱心な要望活動と努力の末に実現した「関屋分水路」。昨年7月の新潟・福島豪雨でも新潟市内の洪水被害軽減に大きな役割を果たすなど、水都・新潟の地において、新たな人間と川との歴史を紡ぎ出している。(新潟・KK)

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