コラム

2012/12/15

「備える」ということ(東京・UT)

「備える」ということ

▼過日、大木聖子<おおきさとこ>東京大学地震研究所助教の講演を聴講した。関東地方整備局が主催した2012年度建設技術フォーラムでの基調講演だ。地震大国・日本は一般常識になっているが、「世界の地震の10%が日本で起きている」という語り口に引き込まれた。

▼首都直下地震はいつ起きても不思議ではない。ただ大木氏は「マグニチュード7程度の地震であれば、備えることで生き延びることができる」と説いている。住宅の耐震化と家具の転倒防止で、死者数を大幅に減らすことができるという。

▼なるほど、巨大地震という自然現象そのものによる死亡というものはまずない。大地が割れて裂け目に落ちていくというのは、非現実的な世界。大地震の際の死亡原因として最も多いのは、倒壊家屋による圧死とされている。

▼講演のまとめで大木氏は「防災の正解は結果論でしかわからない」が「議論し続けることが重要」と強調した。避難場所はどこがベストか、どう行動すべきなのか。こうした議論、考えを常日頃からどれだけ意識できるか。3・11の津波被害に関し、高台に避難させなかったことなどに対して遺族が告訴するケースが出ている。避難指示に関して裁判になるという現実は、多くの組織にとって、衝撃を持って受け止められているのではないだろうか。

▼いざという時への「備え」。労力やコストが必要になる。どれだけエネルギーを注げるか。正直なところ、理想と現実とのギャップもあるだろう。またリスク管理については、個人の人生設計にも当てはまる。ウエートの置き方は十人十色である。筆者はまだまだできていないのだが。(東京・UT)

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