コラム

2013/06/14

払拭できぬ涙活の違和感(茨城・KS)

払拭できぬ涙活の違和感


▼時の流れは早いもので、今年ももう一年の半ばに差し掛かる。天からの涙がしとしと落ちる、風情

ある梅雨のシーズンがやってきた。


▼ちまたでは就職活動の「就活」、結婚活動の「婚活」に続いて、涙を流す活動?涙活(るいかつ)

?なるものが、なぜだか知らないが、女性を中心にブームらしい。さほど大きくなく、目立たない会

場に夜な夜な老若男女が集い、映画、音楽、小説などを?使用?して泣くサークル活動のようだ。た

しかに嬉しい涙でも悲しい涙でも、涙を流すことはストレスや緊張を解放するということが脳科学的

に証明されている。だだ打算的な涙にはどこか違和感を覚える。


▼お隣の韓国では「泣き屋」なるものが存在する。女性が葬儀などで遺族の代わりに大げさに泣きわ

めいて演出することを生業としている。赤の他人の冠婚葬祭で、お金のために涙を流す行為はどこか

腑に落ちない。


▼アメリカ先住民の伝説に「チェロキーローズ」がある。1828年、チェロキー族はゴールドラッシュで沸いたジョージア州から排斥され、オクラホマ州に強制移動させられた。道中、多くの幼子が

犠牲となり、母親らは涙を流しながら1000?を超える旅路を強いられた。その行路に咲いたのが

純白のチェロキーローズだった。涙活は、こんな素敵なエピソードをも興ざめさせてしまうというの

は考え過ぎだろうか。


▼?涙は女の武器?と言うが、凶器でも理屈でもない。心の底から自然と湧いてくる尊いものだ。素

直に流したいものである。かつてのあの娘の涙はどうだったのだろう…。しっとりと、ゆったりと、

そんな物思いにふけた梅雨である。(茨城・KS)


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