コラム

2014/12/13

国道6号北進で考えたこと(東京・HM)

国道6号北進で考えたこと


▼福島第一原発の近く。帰宅困難区域を縦に貫く国道6号を通る。水戸から太平洋沿いの6号は、当時の悲惨さと混乱を色濃く残した風景。屋根瓦が落ち、ガラス窓が割れた住宅は、主を失ったまま朽ちるのを待つようにたたずむ。暗い店舗の駐車場は、除染作業の関係者の車だけ並ぶ。雑草の背が高い


▼南相馬市に住んでいた方から話を聞いた。当然、復興に向けた課題の多い地域だが、「被害者である我々の間で亀裂が生じている」と最近の不安を口にする。東京電力の補償が受けられる人と受けられない人がいる。どこかで線引きしなくてはならないのは分かるが、線引きから外れ、補償を受けられなくなった人は、その怒りを東電だけではなく、補償された人にも向ける。助け合うべく隣人の間に引かれる容赦のない境界線


▼暗い気持ちのまま、国道6号を北上し、新地町に入る。ここも津波で大きな被害を受けたが、原発からは遠く復興は進んでいる。海辺では盛土が進み、災害公営住宅を建設中のブルーシートがいたるところに見える


▼新地町の役場に入る。明るい日が差すロビーのベンチで高校生のカップルが楽しそうにしゃべっている。男の子が何事かささやくと、女の子はお腹をかかえて笑う


▼車で数10分の距離でありながら、これだけ差があることに驚く。「我々の復興の道のりが遠いことが理解されていない」。南相馬で聞いた言葉がよみがえる。そう、一部の地域ではいまだ復興以前と言っていい状態で、先の見えない不安を持ち続けている。被災地から離れて生活する我々こそが、そのことを正しく認識しなければならない。(東京・HM)


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