コラム

2016/01/21

守って破って離れて(茨城・TI)

守って破って離れて


▼新年を迎える際には、気持ちに整理をつけ、新しい抱負を掲げる。ことしの自分は「守破離」という言葉を選んだ。これは師の教えを守り、次の段階として自分なりに型を破り、最後は師の下を離れることを意味している


▼これまで二度、この「守破離」を聞いたことがある。一度目は中学校の部活動の外部顧問から、二度目は大学の指導教授からだった。どちらも自分が部活や研究で指導を受けている場面のことである。一般的な思想であるが、異なる状況と相手から、まったく同じ指導を受けたことには感銘を受けた。それだけ、教育者の中では「守破離」という精神が受け継がれているのだろうと、強く感じた


▼「守破離」の実践は難しい。最初の教えを守る段階を乗り越えても、その先には破と離が待ち構える。少なくとも、これまでの自分はまるでできていなかった。考えを人に預ける場面が多く、責任を負うことにためらっていた


▼しかし、現場ではそうもいかない。一人の行動が滞れば、全体の作業が中断することもある。自分で考えて、動く必要がある。もちろん、報・連・相のあいさつは大切で、毎日の朝礼や危険予知、毎週の打ち合わせはおろそかにしてはいけない。そのうえで、自分のやり方を見つけていくしかない。それこそが破と離なのだと、社会に出て日の浅い自分としては、痛感する日々である


▼幾度と耳にしてきた「守破離」。学業や仕事、あらゆることの基本である。次は、自分がこの「守破離」という言葉を通して得た経験や知識、そして「守破離」そのものを、他の誰かに伝えていくことが、今の目標である。(茨城・TI)


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