コラム

2016/04/08

宮本忠長氏を偲ぶ(水戸・EM)

宮本忠長氏を偲ぶ


▼建築界の灯がひとつ消えた。建築家・宮本忠長さんが2月25日88歳で永眠された。佐藤武夫設計事務所を経て、長野市に宮本忠長建築設計事務所を設立。BCS賞・日本芸術院賞を受賞した松本市美術館の設計などを手掛け、2002~08年には日本建築士会連合会会長を務めた


▼宮本さんは、まちづくりに積極的な役割を果たす建築家の先駆けとしても知られる。長野市近郊の平均的な第一次産業中心の町だった「小布施」を『ソトはみんなのもの、ウチは自分のもの』という思想のもと、年間百数十万人が訪れる、魅力ある故郷へと変貌させた


▼十数年前にインタビューした時の柔和な表情と語り口が今も懐かしい。「主役は建物ではなく、建物と建物の間の空間、すなわち外回りにある。そこに生活する人間が、おのおの向こう三軒両隣という気持ちで、外の空間を共有し、均衡を持たせること」この想いが小布施のまちづくりの根幹


▼宮本さんいわく「温かい気持ち」を持った住民、行政が、長い年月をかけて小布施の町を模様替えした。「ウイルスが感染していくようなものであり、そうでなければ成功しない。マスタープランなどという大それたものは要らない」


▼「かつて父が設計した市役所を取り壊し、同じ場所に区民会館を建てた。まさに親不孝者の典型だ。世の無常と片付けるわけにはいかぬ。旧建物の方が新館よりもはるかに文化性が高いのだ。あれから30年、保存・再生こそ王道と改めて覚悟する。遅ればせながらとは、このことである」。宮本さんの思想は、これからもそこかしこで花を咲かせる。(水戸・EM)

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