コラム

2016/05/20

熊本城の再建を願う(新潟・SS)

熊本城の再建を願う


▼熊本地震では現在も多くの被災者が非難を続けており、避難生活は長期化する様相を見せている。重厚な石垣が印象的な熊本城も瓦が落ち、石垣も多くが崩れ無残な姿となった。1877年(明治10年)の西南戦争で官軍が籠城する熊本城を攻めきれず自刃した西郷隆盛は「官軍に負けたのではなく、清正公に負けた」と言ったとされる


▼堅牢な石垣は戦国時代に豊臣秀吉子飼い七将の一人、加藤清正が近江国(現在の滋賀県)から率いてきた石工集団によって造られたとされる。下部は緩やかな傾斜で、上部に向かうほど急な角度になる独特の造りになっている。下から見ると裾の方は扇のようで簡単に登れるような印象だが、上にいくほど反り返るので登ることはできない。城に侵入しようとする者をはね返してしまうことから「武者返し」の異名を持つようになった


▼武者返しは戦略的な意味合いより、地盤が軟弱だったために、石垣の裾の方を広く緩やかな勾配にして、石垣の座りを良くしたという説もある。加藤清正に代わり城主となった細川家以降の石垣は、武者返しではなく、直線的な整備がなされている


▼今回の震災では天守閣や櫓(やぐら)、長塀(ながべい)以外に石垣も3分の2が崩壊した。石垣修復費用だけで数十億円規模になる。既に日本財団は熊本城の再建費用として、総額30億円以上の支援を表明した


▼復旧・復興では建設関連産業が果たす役割は大きい。今は一刻も早くライフライン復旧を進め、避難者が安心して暮らせる環境に戻すことが最優先だが、インフラ復興が本格化する数年後には熊本城が観光客で賑わうことを願う。(新潟・SS)


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