コラム

2016/06/28

いまだ遠い復興の道のり(群馬・MY)

いまだ遠い復興の道のり


▼4年ぶりに東日本大震災の被災地を見て回った。岩手県久慈市から三陸海岸を南下し、福島県富岡町までという行程。どのくらい復興が進んでいるのかを知ることが目的だ


▼岩手県では、海沿いの国道45号を行く。しばしば真新しい「復興道路」の暫定開通区間も通行した。道々には、津波により浸水した地点を知らせる標識が多くあった。「こんな山側まで」と驚かされる場所が多いのも、リアス式海岸の地形ゆえなのだろう


▼宮古市から被災した市街地にも入った。震災の翌年はまだいたる所にがれきの山々があったが、すでに片付けられていた。震災の遺構として残されたホテルがある。2階までは鉄骨がむき出しの状況で、あの津波のパワーを伝えていた。港では、魚介類の加工工場が動いているものの更地も多く、以前の活気はまだ戻っていなかった


▼海沿いの各市町村では、大規模な宅地造成を実施中。ある町では山を削って宅地を造り、隣町ではその土砂を使い被災した市街地をかさ上げする工事が行われている。有名な陸前高田市のベルトコンベアによる盛り土には、その広大さに圧倒された。ここに新しい都市が造られ住民が戻る計画の成功を心から祈った


▼福島県では国道6号を南下した。南相馬市からは避難指示区域となる。浪江、双葉、富岡の3町では商店が建ち並ぶどこにでもある地方のバイパス道路沿いの光景なのに、人が全く消えている。国道との交差部はフェンスが設置され、進入を制限するガードマンが立つ。原発事故により時が止まったままの町を見て、あらためて復興の道のりの長さと険しさを感じた。(群馬・MY)


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