コラム

2017/04/01

飛砂山の頂にて(新潟・CY)

飛砂山の頂にて


▼延長約50m、高さは目算で4mほど。日増しに高くなっている。人の手によるものではない。風が運んだ砂の山だ


▼新潟市郊外の海岸沿線、ある交差点脇にそびえ立つ。海岸線ならば砂はどこにでも積もっているが、ここまで巨大なものはそうそうない。「飛砂注意」の看板は埋もれ、防砂フェンスも頭の先がのぞくのみ。除雪ならぬ除砂というものがあることを知った


▼海は荒海、向こうは佐渡よ―北原白秋の童謡・砂山を口ずさむ。新潟の子どもたちのために書かれたものだ。不思議なのは3番の歌詞の冒頭だ。「かえろかえろよグミワラわけて」。グミと海、どうも違和感がある。北原の手記には、新潟の寄居浜で「驚いたのは砂山のグミやぶで、見渡す限りグミの原っぱ」とある


▼新潟市歴史博物館の資料に、グミの記述があった。砂害が大きかった海岸砂丘で本格的な砂防林造成が始まったのは長岡藩領時代。1843年(天保14年)に新潟町が幕府直轄領となり砂防事業を継承する。このときグミを風上に植えて地固めに利用した。アキグミという落葉低木の種類らしい。さらに砂に強いネム、風を防ぐ松と順に植林し、何重もの松林の囲みを作った。宅地開発などの目的もあり、5年間で2万6000本の松苗を植えた


▼砂山に登ってみた。無数の足跡が、人の往来を教えてくれる。グミワラこそなかったが、佐渡がよく見えた。この山は飛砂との闘いの長い歴史の中で、風の逃げ道としてできたのではないか。それならば、飛砂対策の一つの効果と捉えることもできる。眼下にはバックホウが連なってこうべを垂れ、しばし、休んでいるようだった。(新潟・CY)


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