コラム

2018/08/28

夏の甲子園に思う(山梨・HK)

夏の甲子園に思う


▼ときは第一次世界大戦のさなか。ドイツ軍がイギリス本土へのツェッペリン飛行船による空爆を開始した。大陸では袁世凱が中華帝国の皇帝となり、アメリカではオーソン・ウェルズが、日本では市川崑監督がこの世に生を受けた。ロマンロランがノーベル文学賞を受賞したのもこの年で、芥川龍之介は「羅生門」を書き上げている。(いずれもウィキペディアより)


▼この夏、100回を数えた全国高等学校野球選手権大会。記念すべき第1回が開催されたのがこれらの出来事があった1915年である。若人が野球の頂点を極める熱き闘いは、築き上げられた長きにわたる歴史とともに「甲子園」の名で語られ、スポーツ以外の分野でも全国一を競う場の代名詞となっている


▼記念大会の企画として、かつて甲子園を沸かせた球児たち「レジェンド」による始球式なる趣向も登場し、往年の高校野球ファンの熱が再燃するたまらない夏の訪れになったものと思われる。何も燃えているのは甲子園ばかりではない。日本全国各地、味わったことのない猛暑である


▼もはやこれまでの常識や言い伝えなどは当てにならない。自然界相手には、長年にわたり覚えたことや経験したことが通用しない時代が訪れたようだ


▼世界大戦の折に始まった高校野球夏の大会も、第二次大戦に際には中止に追い込まれた。滔々(とうとう)と流れる時代の流れではときに淀みも深みも滝も姿を現し、翻弄(ほんろう)されるのは人々ばかりか。何はともあれ、地域の守り手である建設業の方々がいざという時に、万全の状態で事に当たってもらえるよう、企業としての体力維持がかなう体制が望まれる。(山梨・HK)


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