コラム

2019/04/13

観の目強く、見の目弱く(埼玉・YM)

観の目強く、見の目弱く


▼記事を書いていると新聞的な表記と文法的な表記で迷うことがあり、どちらが読みやすいか試行錯誤することがある。書き終わってから全体を読み返すと修正する点が多いこともある。その場の細かいことにこだわると、思わぬうちに全体の文意を損ねてしまっているからだろう


▼将棋は指し手を読み合って駒の働きを追及する遊びだ。将棋棋士となれば何十手先を何通りも読み続ける。素人の遊びだと次の手だけを考えて終わることがあるが、より深く先を考えている相手に負けてしまう。目先の判断だけでは大局が見えてこない


▼宮本武蔵が五輪の書・水の巻で兵法の目付を書いている。目付には心を見る「観」と外見を見る「見」がある。そして「観の目強く、見の目弱く」と記しており部分に捉われることなく全体を捉えよと説いている。またアリストテレスが全体は部分の総和に勝ると表現したように、部分の理解が全体の理解とはならない


▼個別の事象だけでなく大きな視点を持つ必要は、記者や将棋棋士などに限らず、あらゆる分野・時代・国で通じる心得ではないだろうか。個々の食材がどんなに素晴らしくても、肝心の調理がうまくいかなかったら台無しになる。重要なことは、食材の組み合わせを生かした調理の原理と方法を知ることだ


▼物事の本質は観の目を強くし、見の目を弱くすることで見えてくる。観で見るには、物事の原理と方法を言葉ではなく心で理解する必要がある。目の前のことに集中することも大切だが、物事を俯瞰(ふかん)できる心の余裕はさらに重要だ。何はともあれ、喫茶店でお茶でも飲んで落ち着きますか。(埼玉・YM)


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