コラム

2019/06/01

たとえ毛虫の歩みでも(埼玉・KM)

たとえ毛虫の歩みでも


▼ふ化したばかりの毛虫が夜の闇の中で目を見開いた。辺りを取り巻く暗がりには、巨大な魚や虫たちのうごめく音と影が満ち満ちている。毛虫は、卵の殻を頭に乗せたまま身じろぎもせず、澄んだ瞳に映る不思議な世界に目を凝らすと、やがて牛のような野太い声でつぶやいた。「んも?」


▼宮崎駿監督の短編アニメ『毛虫のボロ』の一幕だ。宮崎監督が初めてCG表現に挑戦したことで昨年話題を集めた。主人公は襤褸(ぼろ)菊の茎で生まれた毛虫の子ども、ボロ。小さな毛虫の目線で世界を描いていたが、その表現は独創的だった。空気は宙に漂う丸みを帯びた立方体で表され、ゼリーを食べるようにボロの口に吸い込まれた。朝日が昇ると、オレンジ色の柔らかな直方体がボロにぶつかり、包み込んでは通り過ぎていった。それは光だった


▼劇中にはセリフらしいセリフは無い。それどころかボロの声や虫の羽音、自転車のペダルの軋(きし)みなど全ての音が一人の人間の声で表現されていた。濃密な映像体験だったが、上映時間は14分20秒というから驚きだ。70代も後半を迎えた宮崎監督の挑戦は若々しさにあふれていた


▼過日、定時制高校の建設現場見学会で生徒たちの中に建設会社の社長がいたのを覚えている。小奇麗な若者に混じり、使い古した作業着はお世辞にもおしゃれとは言えなかったが、学業に取り組む真摯(しんし)な姿は印象的だった


▼挑戦を諦めない人を見て、いざ我が身を振り返ると反省せずにはいられない。学びに遅いということはなく、挑戦に終わりはないのだろう。ボロを着てても心は錦だ。たとえ毛虫の歩みでも、前へ向かって進みたい。(埼玉・KM)


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