コラム

2019/06/14

せめてその思いを(山梨・OS)

せめてその思いを


▼「最愛の妻と娘を突然失い、ただただ涙することしかできず、絶望している」。東京・池袋での幼い子どもと母親が亡くなった交通事故。その遺族の会見を見た。とてつもない重苦しさと悲痛な叫び。その状況に置かれた者でなければその苦しみは分かるまい。故に同情という言葉も適切ではなく、掛ける言葉もない


▼「この数日間何度も、この先、生きていく意味があるのかと自問自答した」。遺族の言葉が失ったものの大きさを示していた。もし自分が遺族になったら。考えてみるも、脳の防衛本能なのか恐怖ばかりが先行してしまいリアルな絵が浮かばない。やはり当事者のみが知り得ることだ


▼交通事故の原因はさまざまだが、一つにドライバーの判断ミスがある。適切なスピードの判断はもちろん、信号が赤に変わるときや右折するとき。ギリギリの場面で“選択”を迫られることは多い。そうした際に例えば勢いに任せて「行ってしまえ」と無理に進んだことはないだろうか


▼建設業では自動車のほかに重機も扱う。日常的に使うものだけに、ややもするとそれが人の命を奪う凶器になり得るという意識が薄れる。時に判断に迷いながらも操作してしまうことがあるだろう。そうした微妙なタイミングでも人は必ず瞬間的に「やる」「やらない」を“選択”しているはず


▼遺族が妻と娘の写真を公表し会見に臨んだのは「危険運転をしそうになったとき、亡くなった2人を思い出し、思いとどまってくれるかもしれない」との思いから。遺族にしてあげられることは何もない。だからせめてその思いを多くの人が感じ、安全に生かしてほしい。(山梨・OS)


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