コラム

2019/10/04

乱世に生まれた防風林(埼玉・KM)

乱世に生まれた防風林


▼時は戦国、上野国(こうずけのくに)(群馬県)に大谷休伯(おおや・きゅうはく)という武士がいた。農政家で知られ、もしかすると刀より鍬(くわ)を握る方が好きだったかもしれない男だ。あるとき同国館林を治める赤井氏に農地改革を頼まれた。吹き荒ぶ(すさぶ)空っ風で農業に適さない館林を救ってくれという。赤井氏の熱意に打たれた休伯。ならば大きな防風林を造ってみせようと、生涯をかけた植林事業が始まった


▼しかし、乱世だ。事業が軌道に乗り始めた矢先、赤井氏が滅んだ。発注者が消えたのでは是非もない。ところが今度は、地元の農民らが声を上げた。人も金も出すという。そうして二十余年後、大勢が心血を注いだ事業は松の木150万本、面積518haの巨大防風林として結実した


▼ところで、都市でも街路樹が防風林の役割を果たしていることはあまり知られていない。広げた枝葉で強風を防ぎ、道ゆく人々を守っている。さらに木陰による気温の低下や景観の向上など効用はさまざまだ。しかし、街路樹の現実は厳しい。落ち葉の処理など相次ぐ苦情で強烈な剪定(せんてい)が常態化し、電柱のような木々も珍しくない


▼都市緑化に取り組む細野哲央氏(地域緑花技術普及協会代表理事)は、街路樹について人々にもっと知ってもらう必要があると話す。街路整備に参加できる機会があればさらに良い。生活環境の守り手となる街路樹の管理を自分ごととして感じられれば、日本の緑はもっと豊かになるはずだ


▼大谷原山林の名で今なお残る防風林も、人々の協力なしには実現しなかった。休伯の没後、人々は大谷神社を建立。戦国の農政家は神様となり、現在も館林を見守り続けている。(埼玉・KM)


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