コラム

2019/11/22

心のふるさとはどこに(埼玉・YM)

心のふるさとはどこに


▼「休みの日には何をしますか」などの会話は、いつの時もいたるところで交わされる。自宅でくつろいだり、外出したり「平日にできないことをする」と答える人が少なくない。これから年末年始の時期を迎えると、実家に帰省したり親戚や先祖に顔を見せたりする人が多いだろう


▼ところで、『実家』と聞くと何を思い浮かべるだろうか。就職を契機に新天地で暮らしている人なら両親が住んでいる場所かもしれない。ずっと同じ土地に住んでいる人なら、生まれ育った家だろうか。もしくは、親の都合で各地に住んだことがある人なら、お墓がある地域などいろいろな意見が出てくるかもしれない


▼辞書には「自分の生まれた家」とある。しかし、生活形態が多様化している現代では、生まれた家が既に無かったり、家は有っても親がいなかったりするケースもある。それらは一例に過ぎないが、いずれにしても『実家』という言葉の意味や定義が不十分であいまいになりつつある


▼「天の原ふりさけ見れば」で始まる阿倍仲麻呂の歌は、望郷の念が表現されていて、時代を超えて人の心を強く打っている。一方で「住めば都」のように、特定の土地に固執しない言葉も広く使われて市民権を得ている。どちらが良い悪いではなく、その土地・建物に心を通わせることができるかどうかがポイントになる


▼特別な思いを持てる場所・建物、または特別な人が住む場所を『実家』と呼ぶのではないだろうか。個人にとって「心のふるさと」になる実家を持つことは大切だ。社会にとっては、止まり木になる建物を整備することが重要になってくる。(埼玉・YM)


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