コラム

2020/06/04

伝えることの難しさ(茨城・TT)

伝えることの難しさ


▼幼少期のころ両親からのクリスマスプレゼントはボードゲームだった。一つのプレゼントで性別関係なく複数人が一度に楽しめるなど、今で言うコスパが良かったのだろう。部屋の片付けをしていたら、押入れから出てきたゲームは箱がボロボロでガムテープで補修されていた。楽しんだ様子が思い浮かぶ


▼気付けば大人になってもボードゲームを少しずつ買い集めていた。休日に友人と以前購入し封をしたままだったゲームを囲んだ。その名は「すずめ雀」。〝麻雀の経験、未経験者に関係なく一気に盛り上がれる〟というフレーズに引かれ購入した。あいにく当日のメンバーは麻雀未経験者


▼当たり前だが、一つのゲームに説明書は一冊。文字を読むことを苦にしないだろうと若者に説明書を渡し、その解説に沿ってゲームを進めた。一度は納得してゲームを始めてみたが、数回のプレイ後に疑問点が上がる。「どれどれ」としばし考え込み、今度は違う者が説明書を読み解く。これが何度も繰り返され10回以上プレイをしたころでやっと、正しい?遊び方にたどり着いた


▼先日、業務の担当エリアが変わった。新たな担当者に引き継ぐ書類や説明でてんやわんやとなった。自分にとって手慣れた作業も、新たな担当者からすれば未知の世界。質問をされるということは相手の理解度というより、不備だらけの引継書ということなのだろうと反省した


▼ふと思い出す。伝わる引継書と、ゲームの説明書。間違いや他の解釈が生まれる要素は排除し、自分と背景が違う者、真っさらな人に物事を間違いなく伝える難しさを改めて感じた。(茨城・TT)

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