コラム

2020/06/26

土と戯れ雨と語らう(長野・HK)

土と戯れ雨と語らう


▼四文字熟語を座右の銘として心の中に掲げている人も多いのではないだろうか。大相撲が人気を博していた頃、横綱や大関の昇進伝達の場での口上としてもてはやされもした


▼その一つである晴耕雨読。「晴れた日には田畑を耕し、雨の日は家にこもって静かに読書を嗜み(たしなみ)、知を広げる」とそのような意味に捉えていたが、とあるサイトに「読むのは本ではなく雨」との指摘があった。発言の主は造園を本業として土地の再生などにも力を入れているとのこと。雨、すなわち水の流れを眺め、その土地の最高の環境を整えることにより作物の実りを豊かなものにする、と理解した


▼雨を読むとは自然との語らい。一方的に任せるのではなく、地球の一部として人間が程よく、必要最低限に山河の世話を焼いていけば自然は豊かな実りを与え、防災の面でも少なからず力を貸してくれる


▼人間と自然が協働で全ての生き物にとって最高の環境を作り上げていくことが必要。思わず口笛を奏でたくなるような日当たりが良く、風が通り、小鳥のさえずりが聞こえてくるような場所は万人にとって気持ちが良く楽しい環境といえるのではないか。私利私欲で手を加えると自然界との歯車がかみ合わなくなる


▼先ほどの「晴耕雨読」。突き詰めれば、日頃の煩わしさから逃れて田舎で悠々自適に暮らすという意味も。コロナ禍の中、満員電車から開放されたものの自宅にこもってばかりでは「笑止千万」。かゆいところに手が届かない政策は「本末転倒」。行く末に「疑心暗鬼」にもなるものの、考えても仕方ない「天真爛漫」に生きたいものだ。(長野・HK)


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