コラム

2020/08/26

治水は苦難の上に(群馬・YY)

治水は苦難の上に


▼先日、取材で群馬県明和町を訪れた際に「町指定史跡、川俣事件衝突の地」と書かれた看板が目に入った。利根川の堤防にほど近い場所にある史跡には、事件の概要や発生に至るまでの経緯を説明する記念碑が建立されている。日本初の公害事件として知られる足尾鉱毒問題に端を発する川俣事件は、1900年(明治33年)2月13日に発生した


▼栃木県の足尾銅山から渡良瀬川を介して流れ出る鉱毒が流域にある農地の土壌汚染や魚の大量死などを引き起こし、農民の生活困窮を招いていた。補償と鉱山の操業停止を求め、被害民が上京して政府に請願するなどしたが、有効的な方策が打たれることは無かった


▼栃木県選出の代議士、田中正造による帝国議会での追及も実を結ばず、被害民は4度目となる上京請願を決行。群馬県館林市にある雲龍寺を出発し、利根川を目前にした現在の明和町川俣地区で行く手を阻む警官隊と衝突、多数の負傷者が出た


▼大正時代に入り、鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に栃木と群馬、埼玉、茨城県にまたがる渡良瀬遊水地が整備された。洪水調節機能も併せ持ち、2019年の台風19号では過去最大となる約2・5億立方mを貯水し、下流域の洪水被害防止にも寄与した


▼遊水地の計画立案後、生活基盤を失う建設地の住民を中心に反対運動が起こった。半ば強制的な土地収用で廃村となった栃木県旧谷中村など、運動に関する記述も川俣事件の記念碑に刻まれている。各地に甚大な被害をもたらした台風19号から間もなく1年。先人の苦難の上に治水が図られた史実を知り、防災への考えを新たにした。(群馬・YY)


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