コラム

2021/04/17

当たり前の向こう側(新潟・CY)

当たり前の向こう側


▼「降りることができる!」。心躍らせ、駆け寄ったのは2本の桜の木。寄り添う木々の間を小さな水路が流れゆく。夫婦(めおと)桜として近年ひそかな人気らしい。存在を知って十数年、やっと傍らに立つことがかなった


▼大きな潟をぐるりと一周する公園。春は菜の花と桜の共演で知られる。朝7時に向かったが、すでに駐車場は9割方が埋まっていた。夫婦桜は公園の外にたたずみ、これまでは水路を跨ぐ橋の上から見下ろすだけだった。数年前に近くに広大なヒマワリ畑が作られ、夏だけの仮設の橋が設けられた。桜の季節もこの橋があればなぁ。そう思っていたのは私だけではなかったようだ。次々にカメラと三脚を担いだ人が下りていく。まるでずっとそこにあった道のよう


▼当たり前のインフラ―。暮らしの中でそれが当たり前になるまでに、どれだけの力が尽くされたか。安全祈願祭にお邪魔すると「やっとここまでこぎ着けた」「長かった」と実感のこもった言葉が漏れ聞こえてくる。名も知らぬ技術者、自治体職員、地元の決断。手を携えて流した汗を想う


▼目の前にあるのは何のことはない小さな橋だ。しかしこのごくごく小さな橋にしても、どれだけのものが織り込まれているのか。スマートフォンで撮影し合う子どもたちに生返事をしながら、込み上げてきたのは、そばに降りることができた、そのことばかりではなかった


▼ある人いわく、夫婦桜をくぐってはるか向こうの集落へまっすぐ進むと、小さな神社があるのだとか。かつて、参道だったのだろうか。北国街道とも関連があるかもしれない。いつかこの桜をくぐって、神社まで歩いてみたい。(新潟・CY)


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