インタビュー

2011/04/25

日本都市計画学会 岸井隆幸会長インタビュー

◎日本都市計画学会 岸井隆幸会長(日本大学理工学部教授)インタビュー



 東日本大震災。「想像を絶するような世界でした」。1カ月以上が経った今でも、その時のことが

鮮明に浮かび上がる。発災直後、被災地に入って歩いて調査をした日本都市計画学会の岸井隆幸会長

(日本大学理工学部教授)の言葉は重かった。あらゆる想定を超えた今回の大震災は、学会関係者に

も多くの課題を突きつけた。被災地での調査をまとめ、復興に向け、近く国に提言するという。

   ◇

 ―1週間以上、被災地で被害調査されたそうですが、何都市くらい回って調査をされたのですか。

 岸井 調査隊全体としては25都市くらいです。被災地を俯瞰的に見るためにヘリコプターも利用し

ましたが、現場を歩かないと詳細な被災状況が分からないので徒歩で調査をすることが多かったです。

被災の範囲が広域であり、しかも被害が甚大だったため調査に時間がかかりました。しかも被災地は

地形が異なるため被災状況が違っています。仙台以南の地形はほとんど平場の状態ですので、一面、

戦争直後の風景みたいになっていました。また、岩手県の陸前高田市と大槌町、宮城県の南三陸町は

壊滅的です。

 ―どういうところを中心に調査をされたのですか。

 岸井 被災した市街地がどういう状態になっているのか、防災施設は残っているのか、堤防、防潮

林の被害状況はどうなっているのかなどを中心に調査をしました。復興へ向け、まず住宅をどこに建

てるか。安全な高台に建てるとなると山間地の地形は急峻なところが多く、余震で土砂災害の可能性

がありますので、さらに詳細に調査をする必要があります。

 ―今回の震災はあらゆる想定を超えるものでした。この想定外について、どのような見解をお持ち

ですか。

 岸井 三陸海岸地域は昭和35年、チリ地震による津波被害を受けている地域でもあり、波の高さな

どを記した看板や避難所へのルートなどが表示されていました。南三陸町を例に取れば、チリ地震の

ときの津波は約2・8mでしたので、高さ5・5mの防潮堤が整備されていました。しかし、今回は

それをはるかに上回る津波が襲い、未曾有の災害をもたらしたのです。

 ―学会として、まず取り組まなければならない課題は。

 岸井 三陸海岸地域は明治29年、昭和8年、昭和35年と過去3回、地震による津波が発生し、大き

な被害が出ています。そのとき人々はどう対応したのか、その都度、津波に対する工夫はしてきてい

ます。学会はこれらの経験を踏まえ、安全な街をどう創造していくか、大きな課題を突き付けられて

います。

 ―復興するにはハードとソフトをうまく組み合わせた、まちづくりが必要と思います。

 岸井 先ず、壊れている防潮堤を整備し直す必要があります。岩手県北部にある防潮堤はチリ地震

のときに発生した津波が越えることはありませんでしたし、今回の地震による津波も押さえています。

だから決して無駄ではなかったのです。しかし、今後の防災を考えるときには、ハードとソフトの両

方をうまく組み合わせることが重要です。とくに避難行動の分析は不可欠です。津波が押し寄せたと

きの人々の行動はどうだったのか、正確に分析したうえで国に提言したいと思います。

 ―国から復興に向けて提言をして欲しいという要請があったのですか。

 岸井 3月31日に関係する7学会の会長が連名で国土交通大臣に復興に向けた共同アピールをしま

した。広域協働復興組織、つまりプラットホームをつくってもらい、我々もそこで活動ができるよう

にしてほしい、と大臣にお願いしました。大臣からは引き続き提言してほしい、と言われましたので

近くまとめて提言するつもりです。

 ―復興への道のりは遠いと思います。どのような復興がベストだと考えますか。

 岸井 被災住民たちの意見を汲み上げなければうまくいかないと思います。施設を整備するにして

も、被災状況をきちっと理解していないと造れない。現地に行けば分かりますが、その場所、場所に

よって被害状況が違います。だからまず国が同じ基準で調査をし、被災と避難を正確に把握する必要

があります。

 ―震災前の状態まで復興するには、あと何年かかると思いますか。

 岸井 被災した人たちが、元通りの安心した生活が送れるようになるまで、それなりの月日と時間

を要すると思います。阪神・淡路大震災とは違い、被災地が広範囲なので5年で一段落する地域もあ

るし、10年かかる地域もあるかもしれない。いずれにしても長いスパンで見なくてはなりません。


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