2026/06/25
影に置くある種の信頼(新潟・CY)
影に置くある種の信頼
▼蝶を吐く人―。こんなタイトルの木版画がある。作者は谷中安規(たになかやすのり)。「あんき」とも呼ばれる。狭い部屋に男が描かれている。男の口から吐き出された蝶、その蝶の大きな影が画面の多くを占める。蝶は自身を投影した言葉なのか、はたまた影の方が実像なのか。謎に満ち、どこかうつろで、愛嬌(あいきょう)めいたものも感じられる
▼過日、安規の美術講座があった。講師の滝沢恭司新潟市美術館特任館長によると、安規は生活力の全くない奇人で、よく街中を踊りながら歩き、風呂にも入らず、失恋し裸でナイフを持って踊り狂うなどしていたが、大変礼儀正しく、愛されキャラだったという。2014年には、少年時代を新潟県柏崎市の鯨波で過ごしていたことが分かった。原風景にあの海岸線が刻まれていると思うと親近感が湧く
▼蝶を吐く人が制作されたのは1933年。満州事変後、大戦への足音が聞こえ始めたころだ。インフラ整備で都市の景観が急激に変化し、安規作品にもビルの谷間や映画館、ロボットなどが描かれる。一方で軍艦や大砲のようなものも見え隠れし、戦争への憂いを忍ばせている。現世の事にはこだわらず、自分一人の世界に生きていたかと思いきや、作品にはかなり緻密な計算が織り込まれているのかもしれない
▼安規は影にある種の信頼を置いていた、との言葉が印象に残った。実態は影めくもので、影こそ真実ではないか。仏教的な思想と仏のような人物。はかない小さな蝶の大きな黒い影。荘子の『胡蝶の夢』を思わせる
▼第1四半期が終わる。先の見えない変化の大きな時代。一呼吸ついて、万物斉同の端に触れてみるのも面白い。(新潟・CY)















