コラム

2026/09/02

当たり前を疑う

当たり前を疑う

▼先日、小学生の息子がうれしそうに50m走のタイムを伝えてきた。自分は何も考えず遅いタイムだと思い、そのまま「遅いね」と返してしまった。ところが学年平均を確認すると、決して遅い記録ではなかった。軽い気持ちで口にした言葉だったが、息子は明らかに傷ついた表情を見せ、強い後悔が残った

▼人は経験や感覚から、無意識のうちに物事を判断してしまう。「これくらいは当たり前だろう」「当然こうだろう」といった思い込みが、知らず知らずのうちに積み重なっている。しかし、その当たり前は、本当に誰にとっても当たり前なのだろうか。環境や経験が違えば、物事の捉え方が異なるのは当然のことだ

▼これと少し似た話だが、社会経験が長くなると「分からない」という感覚が分からなくなることがある。長年続けてきた仕事や習慣は、自分の中で当たり前になっていく。しかし、それは経験や知識を共有していない相手にとって、決して当然ではないのかもしれない

▼建設業でも思い込みによる判断が問題となる場面は少なくない。「このぐらいは分かるだろう」と伝えたことが、相手からすれば説明不足で理解できず、気が付けばミスにつながることもある。特に安全に関わる現場では、こうした認識のずれが重大な事故やトラブルを招く可能性もある

▼自分にとっての当たり前は、これまでの経験によってつくられたものに過ぎない。だからこそ、「本当にそうなのか」「相手にとっても同じなのか」と立ち止まって考えることが大切なのだろう。息子への何気ない一言から、自分の当たり前を疑う大切さを改めて痛感した。(埼玉・KK)

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