コラム

2026/08/07

変化するまちの活気(埼玉・HK)

変化するまちの活気

▼上京した当初は、繁華街の圧倒的な人の多さに驚いた。新宿や渋谷に出かけると、途切れることなく人が行き交う。大きなビルの低層階には洗練された店が並び、密集する雑居ビルは上から下まで雑多な熱気で満たされている。生まれ故郷とは違う、これぞ「活気」だと思った

▼しかし東京の生活が数年を過ぎた頃、人や店以上に溢れているものに気付いた。ルールだ。路上でのパフォーマンスやスケートボードの禁止、都立公園でも花火やボール遊び、楽器の練習まで事細かに決まりがある。一般に開放されたビル前の公開空地では、芝生に飲み物をこぼすことや、シャボン玉で遊ぶことすら禁じられていた

▼どれも安全性や快適性を考慮しての措置なのだろう。だが地方から出てきた私にとって、あらゆる禁止事項を網羅した長文の警告板は驚きだった。利用者に求められるのは、気まぐれな居心地の良さではなく、計画的な行動だ。改めて文字にされると、一挙手一投足を見張られているような心地になる

▼いつしか無目的に外に出ることが減った。路上はただ、自宅から店や会社という目的地へ向かうための通路になった。全てが消費と労働にひも付いた、金銭でつながる商業的な活気。しかし本来の都市の活気とは、無計画で無目的な滞在が生む、予測不可能な人間模様にも宿っていたはずだ

▼行政や企業だけでなく、住人やそこを訪れる人が主客の境界を超えて混ざり合うことで、公共空間は本当の形を成す。効率性と管理から距離を置き、私たちが単なる消費者以外の顔で街と関わり始めた時、都市は本当の体温を取り戻すのではないか。(埼玉・HK)

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