2023/01/13
当たり前の不覚(埼玉・IK)

当たり前の不覚
▼昨年12月のさいたま市議会で、取り扱いについて触れられた施設があった。本庁舎正面入り口の「時計塔」が、経年劣化のために撤去され、再設置を希望する声が一部の市民から出ているという
▼時計塔は、現庁舎(旧浦和市役所)が1976年に完成した記念に寄贈されたもの。歴史も刻むモニュメントであったが、昨年3月に時刻のずれを確認した市は、調査の結果、摩耗した歯車やさびによる劣化箇所の復旧が難しいと判断。当時の寄贈者(現・浦和ライオンズクラブ)にも意向を確認し、扱いを決めた
▼議会に話が出るまで、撤去されたことなど気にも留めていなかった。時刻を知る簡単な手段はもっぱらスマホであり、手元の画面に目線を落とすことはあっても、時計を探してわざわざ顔を上げる行為は久しく思い当たらない。知らず知らずのアナログ離れ、デジタル慣れの鈍感さに改めて気付く
▼要望に対する市の結論としては、時計塔の再設置は行わないが、寄贈者名などが記された銘板は時計塔のあった場所に置く。現庁舎は2031年度までに移転・建て替える計画であり、現実的な利便性も踏まえると、再設置はなかったろう。そう思うとなおさら、時計塔の在りし姿がどうだったか、よく見ておけばよかった気もしてきた
▼愛着を持ち使用していた品々もあまりに古くなったり、壊れたりした場合に手放してしまうことはある。個人の持ち物と公共施設では程度は異なるが、形あるものがいつかなくなる点では同じ。せめて残るのは記憶のはずだが、今を当たり前に過ごしていると、記憶の機会すら逃す不覚があるようだ。(埼玉・IK)