コラム

2006/09/15

「新聞の父」ジョセフ彦(水・KI)


▼我が国で最初に新聞を発刊し「新聞の父」と呼ばれた人物にジョセフ彦がいる。ジョセフ彦は1837年8月、兵庫県に生まれる。日本名は、浜田彦蔵。13才の時、江戸見物を終えて栄力丸で故郷へ戻る際、遠州灘で暴風に遭い遭難。漂流中、彼はアメリカの商船に救われて、サンフランシスコに到着した

▼その後、キリスト教徒となりクリスチャンネームをとって、ジョセフ彦と名乗った。21才の時、アメリカ領事館員として初代駐日総領事ハリスとともに開国後の日本に帰国する。彼は、領事館の通訳として幕府との間で条約締結などの仕事に尽力した

▼そして1863年11月、ジョセフ彦はリンカーン大統領がゲティスバーグで残したあの有名な演説を知り、日本で新聞発行をすることを決意した。ちなみに彼は、リンカーンと握手した唯一の日本人とされている。しかし新聞発行は、困難を極めた。民衆にも知る権利はあると主張し、取材活動を開始したものの幕府から厳しい監視を受けたり、攘夷派からは危険人物としてマークされたりしていた

▼幾多の試練を乗り越えながら1864年6月28日、民間による最初の新聞「新聞誌」を創刊した。当初は手書きで、すべて無料で配布している。その後、「海外新聞」と改題。当時としては、珍しい海外の話題や流行、風俗などを掲載し横浜居留地の多くの人たちに愛されたという

▼新聞は、社会の公器と言われる。ジョセフ彦は、苦労や困難と闘いながらも新聞発行に情熱を傾けた。彼のような先駆者のおかげで現在のジャーナリズムが成り立っているのだと思う。情熱のスタンスは著しく変わったしまったが。(水・KI)

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