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新潟県知事選(10月22日)-小林新津市長が出馬

2000/08/23 新潟建設新聞

 今年10月22日の県知事選での去就が注目されていた小林13(こばやしかずみ)新津市長は、8月22日、県庁内の県政記者クラブで会見し、知事選への出馬を正式に表明した。3期目を目指す平山県政に喝を入れ、また停滞している県庁職員の喚起を促したい、が主な出馬の理由だ。既に現職の平山知事、共産党系市民団体が擁立している下越病院副院長の冨樫昭次氏が出馬を表明しているが、今回の小林新津市長の出馬表明により、11年振りの3つどもえの選挙戦となる。実質的には、現職の平山知事と小林新津市長の両者の戦い。これに伴い、小林氏は9月定例市議会を最後に新津市長を辞職する。

 新人の小林新津市長は、政治確認団体の名称を「新潟県に元気と夢を」に掲げ無所属で選挙戦を戦う。現職の平山知事が自民、公明、自由、民主、社民などの政党推薦、各種団体などの支持を受けているのに対し、支持母体を持たない小林氏は、個人的な繋がりや、ボランティアを募るなどして、草の根運動を展開、支持を得たい考え。

 知事選の立候補にあたって、小林新津市長は、今回の選挙を20世紀最後の年の選挙であり、2000年という、新しいミレニアムの最初の年の選挙だとし、それだけに21世紀の県政のありり方を展望し、新潟の進むべき方向を選択する大切な歴史的選挙だと位置付けた。

 また、地方自治・新時代というように、地方自治も新しい時代を迎えようとしている。そんな中、今年の4月1日に施行された地方分権一括法を活かし、地域の理想のすがたを描き、自らの手で、着実に実現する努力が必要であると強調。

 そのためには、県庁組織の活性化や地域の活性化が不可欠。警察本部の不祥事が相次いで、元気のない最近の県庁職員に対し、喚起を促し、また県と市町村との意思の疎通を着実なものとすることが必要だ。

 21世紀の県政の基本政策として、歴史的視点に立っての原子力発電政策の転換(巻原子力発電所の白紙撤回)、世界的な視点にたっての新潟県の農林業の再生、福祉・医療の充実などを掲げた。

 また、公共事業については、必要不可欠であることを強調。本県の場合は、まだ社会資本の整備が遅れている。公共事業の抑制については、理解しているが、その投入方法などの手法が問題だ。本県の場合は、ダム開発などに積極的に取り組むべきだ。抜本的な見直しが迫られている清津川ダムについては、土木部河川開発課長時代に手掛けたものであり、是非実現したい。平山県政が最重要課題として掲げている万代島の再開発事業については、既に事業が動いていることもあり、事業の継続を図るが、事業自体を見直し、再構築することは、必要ではないか。

 出馬表明が遅れたことについて、政治的な意図は全くない。機が熟したとして、今回立候補したものだ。また、次期衆議院選挙に立候補するための、売名行為ではないかとする1部の世評については否定した。

 小林氏は、昭和11年1月4日生まれの64歳、新津市出身。昭和33年3月、新潟大学農学部卒業と同時に、同年4月、建設省の推薦で、新潟県庁入りした。大学時代に国家公務員試験に合格、建設省入りが内定していたが、転勤が多く、また稼業が住職で、長男などの理由から、入省を辞退。優秀な人材と認識した建設省が、当時大学卒業者の募集をしていなかった新潟県に本人を推薦、県庁入りとなった。

 入庁と同時に糸魚川土木出張所職員を皮切りに、土木部砂防課、新発田土木事務所災害復旧課長、土木部河川課助成係長、同河川課助成海岸係長、同砂防課砂防係長、同砂防課副参事、同下水道室長補佐、同下水道課長補佐、津川土木事務所長、農林水産部漁港課長、土木部河川開発課長、同砂防課長、上越土木事務所長、新潟土木事務所長を歴任。平成2年4月には、発足したばかりの土木部都市整備局の初代局長に就任。同3年2月に県を退職。その直後に新津市長選に出馬。当選し、現在に至る。

 県職員時代は、土木行政に深く関与、その行政手腕は、高く評価されている。特に故君知事からの信頼は絶対的だった。また県庁職員、とりわけ土木関係者の人望も厚かった。当時の建設業者からも、土木行政手腕を高く評価されていた。

 そのエピソードを物語るものがある。小林氏が新発田土木事務所の災害復旧課長に着任したのが、昭和41年9月。翌年の昭和42年の8月28日に県内最大規模の災害となる羽越豪雨が発生。死者134人、被害総額が約1、000億円という、未曽有の大災害となった。これは、荒川、加治川の豪雨による氾濫がもたらしたもので、県政史上最大の惨事。この大災害に現場の最高責任者として、その被害対策の指揮をとったのが、当時の災害復旧課長であった小林氏だ。当時は県当局の治水対策に非難が集中、大きな責任問題に発展。これに対し、全力で対処し、問題点をひとつ、ひとつ解決していったのが小林氏。当時の行政手腕は、今でも、高く評価されている。知名度は、全くないが、県庁マンきっての苦労人だった。



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