自民党県連の候補者公募を経て、新人ながら29万3500余票を獲得しトップ当選を果たした若林健太氏。公認会計士として20年間、地域の中小企業の苦闘を肌で感じてきた経験を踏まえ、「産業の空洞化により構造的に疲弊した地域経済の再生に取り組みたい」と決意を語り、「建設業を含め、ものづくり産業に携わる人々の誇りを取り戻すことが必要。額に汗する人が尊敬され、誇りを持って生きてゆける社会でなければいけない」と強調した。
―国会議員としての取り組みについて。
若林 選挙戦を通じて訴えてきたのは「ふるさと信州、そして日本を元気に」ということ。リーマンショックの前に、いざなぎ景気を超える戦後最長の景気拡大と言われた時期があったが、県内では長野五輪以降、景気の拡大など感じられない。公認会計士として地元で商売をしてきたので、県内経済の窮状は実体験として痛感している。富が首都圏に集中し、7割以上の人が住む地方がそれを感じられないような経済構造はいびつだ。国の産業政策を見定め、地方がどう生き残っていくのか、道筋をつくっていきたい。
―建設産業の疲弊も著しい。
若林 公共投資が激減し、本当に元気が無くなっている。建設関連産業は地域の基幹産業。その実態を無視し、「コンクリートから人へ」などと単純に予算を減らしていたら、地域の経済は益々おかしくなってしまう。建設業しかり、農業しかり、精密機械工業しかり、バランスある産業構造が不可欠。一次、二次産業に元気があって、それを支える三次、四次産業が進化していくという形にしていかなければいけない。
■これほど地域に貢献する仕事ない
―公共事業不要論がまかり通り、業界はやるせなさを募らせるている。
若林 額に汗する人々の姿に誇りが持てないようになったら、この国は終わりだ。自ら地べたに立ち、泥にまみれ、目に見える形で人の命や生活を守るものを造っていく。これほど地域に貢献し、クリエイティブな仕事はない。政治家とつるんで悪いことをしているなどと一部であった悪しき慣習を取り上げ、すべてを否定するようなことがあってはならない。
―供給過剰構造が続いていることについては。
若林 昔のように公共投資を増やしていくことは難しい。一方で、高度成長期に造られた構造物の更新需要が出てくるという話しもある。まず、将来的な仕事量がどの程度あるのかを把握し、その上で、どのくらいの企業数が過剰なのか、そして事業転換をどう支援していくか。建設産業が無くなることはないが、企業数を減らす努力はしなければいけない。すべて市場任せで自由にやらせ、首を吊るまで待つような状況は果たしてどうなのか。もっと合理的に、政治が主導して産業を整理してもよいのではという気もする。
―低価格受注も問題となっている。
若林 長野市の入札制度を検討する委員を務めたことがある。その時、当時の助役から「公共事業には地域産業の育成や技術の伝承といった側面もある」という話しを聞き、なるほどその通りと感じた。「安けりゃいい、競争させろ」という者もいたが、価格競争で皆が疲弊し、伝承されるべき技術が失われていくような事態は決して地域のためにならない。そうした問題意識もあり、品格議連(=公共工事の品質確保に関する議員連盟)に入ろうと思っている。
―国の出先機関の廃止議論について。
若林 行政をスリム化しろというのは、そのとおりだと思う。しかし、組織をいじるということは、パフォーマンスであってはならない。例えば農業者戸別所得補償制度。私は決して良い制度だとは思わないが、農政事務所を廃止し、個々の農家の現状把握をどうやっていくのか。本当に管理できるのか。組織の機能という観点で、地に足の付いた議論をしなければいけない。
―選挙戦の中で、有権者から「心に響いた」と言われた言葉があるとか。
若林 中学3年になる娘がいるが、やがて学校を卒業し社会へ出る時、「ふるさと信州には、お前の夢を叶える場所が必ずあるから」と胸を張って言えるような、そんな長野県にしたい、と思いを語った。そして日本中が、地域の誇りとアイデンティティを持ち、生き生きと暮らしていける、そうした活力と自信に満ちた地方で溢れるようなれば、こんなに素晴らしいことはない。
―現在も辻立ち(街頭遊説)を続けているが。
若林 有権者に直接思いを届ける手法であり、政治活動の原点。誰にも止まってもらえず切なく感じる時もあるが、必ず聞いてくれる人はいると信じている。時間の許す限り続けていきたい。
【略歴】若林健太氏(わかばやし・けんた)
昭和39年生まれ。46歳。慶大経済学部卒。平成3年若林けんた会計事務所(現・長野税理士法人)開設。9年中央監査法人代表社員。15年社団法人長野青年会議所理事長。17年早大大学院公共経営研究科修士課程修了。19年参議院議員政策秘書、農林水産大臣秘書官。