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茨城県建設業協会

県内建設業者の奮闘/長谷川高萩副支部長

2011/10/20 日本工業経済新聞(茨城版)

 (社)県建設業協会高萩支部は、松山恒男支部長(多賀土木㈱社長)を筆頭に、北茨城、高萩、日立の3市をまたがる建設業者で構成。それとは別に、市建設業協会が各市に存在する。この3市は県北の臨海地域で津波による被害が大きい。なかでも、北茨城市はその影響が甚大だった。


 北茨城市では、7月29日現在で人的被害が死者5人、行方不明者1人、負傷者186人。家屋被害も全壊が337戸で大規模半壊が360戸、床上浸水を含む半壊が1183戸。公共施設も広範囲に被災。市では、豊田稔市長が庁舎で寝泊まりし約3カ月間、陣頭指揮に当たったほか、避難者を庁舎で救護するなどして異例の対応をした。

 長谷川宏副支部長(㈱長谷川工務店社長)は、被災当初、県道里根神岡上線(バイパス)の12日開通式に備え、テントや休憩所を設置するなどして準備を進めていた。そうしたところ大規模な地震が発生。当然、開通式は中止に。国道6号も通行出来なかったことから、一変して、その道路は緊急道路として機能することになったという。

 開通式に備えて、準備していた長谷川副支部長も自分の車の揺れる様を見て、尋常ではない事態だと直感。土手の下につかまりながら難をしのいだ。

 そうこうしているうちに、事務所にいた現場担当者から津波が来るという知らせが…。

 「現場事務所は海面からせいぜい5m程度の高さ。とにかく高台の市役所などに避難させるよう、指示を急いだ」と語る。

 電話も十分につながらない中、事務所に来てくれた会員と連絡を取りながら、なんとか高萩・十王地区の佐藤利雄副支部長(日興建設㈱社長)、日立地区の秋山光伯副支部長(㈱秋山工務店社長)とともに、翌日の12日に高萩工事事務所へ。

 そして事務所長から要請を受けた後、連絡系統図に基づき災害対策。県が管理する道路や河川、海岸の被災箇所に大型土のうを積むなどして応急復旧。査定後の本格復旧に備えた。

   ◇   ◇   

 その後、協会員は市の建設業者とともに、各市内の復旧工事に着手。そのうち北茨城地区では、協会員11社と市建設業親交会員28社を含む39社で、磯原、大津、平潟の3地区に分かれて北茨城市内の復旧に全力で力を注いだ。

 まずは各地区ごとにパトロールなどで被害の把握に努め、その報告を受けて県や市に状況を報告。その間、緊急性を要する橋の段差や道路のクラックなどは、各会員が自主的に判断し、持てる砂利などを調達して応急復旧に当たったという。

 「思い返せば、それぞれの業者が砕石を持ち寄って応急復旧を最優先に進めた。とにかく頭で考えるよりも、体が動いていた」と語る。

 そして応急復旧が終わるやいなや、被害状況がはっきりとしてきた。その中で、倒壊家屋の取り壊し希望が760件に。

 「最初は760件もの量になるとは思っていなかった。せいぜいその半分ぐらいかと。それが余震がたび重なり、最終的に、この件数になった」という。

 お盆までには370件を解体して、撤去して更地に。電気の引き込み線の取り外し手続きや、し尿処理まで関連する内容をまとめて引き受けた。

   ◇   ◇   

 豊田市長の陣頭指揮と建設業者らの不眠不休による奮闘で、北茨城市内では15日に電気が市全域で復旧。水道も、坂東市の水道業者の応援も功を奏し、4月2日に市全域で復旧した。JR常磐線の上野駅―いわき駅間も4月11日に開通。常磐自動車道も21日に一部を除き開通した。

 また、震災では被害の大きさばかりが目立つが、被害が最小限に食い止められた点についても着目する。

 「これは賞讃されるべきだと思うが、数年前、高潮に対する緊急対策として下桜井海岸で延長740mにおよぶ強固な直立護岸を完成させた。これが出来ていなかったら、今度の災害で近隣はたいへんなことになっていた」と語る。

 今回のような震災だからこそ、公共事業の意義が改めて見直されるべきではないだろうか―。

 4月22日、天皇、皇后両陛下が大津港を訪問した際、被災状況を目の当たりにした両陛下は海に黙礼。そして「市民をお守り下さい」とのお言葉に、北茨城市の豊田市長は感極まったという。そんなエピソードを話す長谷川副支部長も、市長と同じように目頭を熱くしていた。市長と想いを一つにする―。それは建設業として市民を守るという使命感を共有しているからこそだろう。


【写真=長谷川副支部長】

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