昨年の7月16日、新潟県上中越沖の深さ約17km を震源とするマグニチュード6・8、柏崎市、刈羽村などで震度6強の揺れを観測した中越沖地震から1周年の節目を迎えた16日、柏崎市の柏崎市民プラザで、新潟県、柏崎市、刈羽村の合同主催による「中越沖地震1週年合同追悼式」が執り行われ、遺族や関係者およそ500人が参加。式典の冒頭には地震が発生した10時13分に合わせて参列者全員で黙祷を捧げ、地震で命を落した15人の冥福を祈った。 また式典では、中越沖地震犠牲者と同じ15本のロウソクが並べられた祭壇に向かい、会田洋柏崎市長が、これまで全国からよせられた支援に感謝するとともに、今後の復興への決意を新たにしたほか、泉田裕彦新潟県知事が、被災者に対し追悼の辞を述べた。
会田洋市長は、式辞として、「昨年7月16日御前10時13分、突然、得私たちのふるさとを襲った、新潟県中越沖地震が発生してから、ちょうど1年が経過しました。おりしも中越大震災からの復興途上にあったこの地が再び地震に見舞われ、最大震度6強を記録した本震とその後の余震によって生涯忘れることのできない大災害となりました。この未曾有の大震災により、15名の方々の尊い生命が奪われ、多くの方々がケガをされ家を失いました。大切なご家族を亡くされたご遺族の皆様の悲しみを思うと、今なお悲痛の思いが胸に迫ってまいります。」と遺族に対し哀悼の意を表した。
また、「全国各地から多くの力強い支援をいただき、大変厳しい状況の中ではありましたが、苦難を乗り越え今日を迎えることができました。関係各所と全国からの温かいご支援に対しまして、心より感謝申し上げます。今はまだ復旧・復興に向けての途上にあり、その道は決して平坦なものではありませんが、私たちがこの震災から得た様々な教訓を踏まえ、住民の叡智を集め、1日も早く復興を成し遂げることが多くの方々からいただいた支援に足して答えることであり、御礼になると思っております」と謝辞を述べた。
そして最後に「新潟県中越沖地震から1年が経ち、被災された皆様による住宅再建の槌音が各所から聞こえて参ります。おかげさまで、公共施設などの社会基盤についても本格復旧に向けて工事が順調に進みつつあります。今住民自身の手による主体的な『まちづくりへ』の取組みが始まっております。住民参加と協働そして自助、共助、公助の精神を尊重しながら、私たちは着実な取組みを進め、災害に強い安全で安心して暮らせるまちへの復興と再生を果たす決意であります」と誓った。
引き続き、追悼の辞として泉田知事が登壇し、「あの日、再び中越地域を襲った突然の激しい揺れは、今も私の脳裏にはっきりと焼きついています。私は、被災直後の現地で、なぎ倒された街並みや商店街の姿、避難所に水や食料が届くのを不安に待っておられる方々を目の当たりにしました。そして、それがかつての中越大震災で被災された方々の姿と重なり、胸が締めつけられる思いがしたことが、今でも昨日のことのように思い出されます。あれから1年の月日が流れました。今なお被災されたままの自宅や仮設住宅で不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。この1年間は皆様にとって、果てしなく長く、つらい1年であったことと思います。犠牲になられた皆様に報いるためにも、私は、被災された全ての皆様が明るい笑顔を取り戻すまで、全力で支援を続けてまいります。
一方、被災地は、悲しみを乗り越え、復旧・復興への道のりを歩み始めています。道路など生活に必要なインフラ関係の復旧は一歩一歩進んできており、被災された方々の生活や住宅の再建、商店街の復興、この夏の海の賑わい復活に向けた様々な取組みも始まっています。これはひとえに被災された方々の頑張りと、全国から頂いた温かい支援の賜物であり、御礼申し上げます。今の優先課題は、生活、住宅の1日も早い再建であり、仮設住宅入居者の皆様をはじめ、被災された方々が早急に生活再建、住宅再建のメドを立てることができるよう全力を取り組んでいくことであります。1日も早く復興を成し遂げ、この地震からの教訓をしっかりと受け止め、発信し、どこででも起こり得る災害の復興に貢献していくことが、これまでご支援を頂いた皆様への恩返しになるものと考えています。」と述べた。
式典ではその後、遺族、来賓、主催者らにより献花が行われた。
遺族代表として、震災で建物の倒壊により父親を亡くした猪又宏さんは「中越沖地震から1年が経過し、倒壊した家屋、陥没した道路、寸断された鉄道、避難所の住民など昨日のように思い出されます。震災で亡くなられた方は、私の父を含め15人にのぼりました。この1年野悲しみ、苦しみ不安、その中にあって、全国の皆様からの支援をいただき、大変勇気づけられました。そして、私たちは、少しずつではありますが着実にこれからの明るい未来に向けて復旧・復興に歩んで参ります。最後に、震災直後から不眠不休で私の父を捜索のためにご尽力いただきました皆様、また、温かいご支援をいただいた全国の皆様に心より感謝申し上げます。」と遺族を代表して感謝の言葉を述べた。
式典の最後には、柏崎私立柏崎小学校の6年生児童80人が、復興と再生の願いをこめて、歌手のKOKIAさんと中越沖地震の被災者との交流がきっかけで生まれた曲『私にできること』と、参列者全員での『ふるさと』の2曲を合唱した。
【写真(上)祭壇中央には犠牲さy15人と同じロウソクが並ぶ】
【写真(下)復興に願いを込めて合唱】