市民の憩いの場となる公園は、「地域で育てる公園にしていかなければならない。全体を見ると、多い・少ないは、ある意味仕方のないこと。しかし、その中でも適正配置を見極め、整備にメリハリを持たせて対処していきたい」と力説する。
高崎工業高等学校電気科を卒業後、民間企業へと就職したが、自分の仕事が何かに役立ち、形になるものをしたかった。昭和42年7月、「市民のために奉仕する」と入庁、「やってみたかった」という、まちづくりの基盤を担う都市計画課へと配属された。道路網の計画や基礎調査、市街化区域と調整区域の区分設定など、計31年間を都市計画畑で手腕を発揮してきた。この歩みの中でも、市街化と調整区域の線引きで、130回以上もの住民説明会を実施したことは忘れられない。「理解を得るため何度も話し合った。厳しいことを言ったこともあるし、言われたこともあった。でも、嫌いな仕事じゃないから情熱を持って取り組んだ。色々なことが経験できたなぁ」と当時を懐かしむ。
平成14年4月からは同課へ就任、「公園も都市計画の分野」と気負いは全くない。同市の市税収入も平成9年の約450億円から、5年後の平成14年には400億円、およそ1割強が落ち込み、公園事業の予算も厳しい状況の中、「公園は増えてきているのに管理費も上がらない時代。厳しい状況でもサービスレベルをいかに落とさないようにするかという努力をしなければならない。きれい事では、すまされない時代」と温厚な顔を引き締め、「地域で育てる公園にするため、受け入れられる要望はなるべく受け入れる。ニーズは多様化するが、これからは既存の公園を活かしていくアイディアが必要」と新たな公園ビジョンを説く。
「立場を超えて評価することは思い切ってする。慰めたり励まし合ったりとチームワークは重要。仕事でも家庭でも最後は心の問題です」と課の運営方針を打ち出す。「気持ち良く仕事ができる環境づくりも私の大切な仕事」。
趣味は、友達夫婦と日帰り温泉に行くこと。カラオケも楽しめるし、良いリラックス方法とか。高崎市在住、58歳。