大和撤退表明で立ち上がった「新潟市まちなか再生本部」の二回目の会議が20日、新潟商工会議所中央会館(同市中央区)で開かれた。この日は商店街再生の実績のある高松丸亀町商店街振興組合理事長・古川康造氏が講演を行い、実体験から再生の要旨を語った。
バブル期に疲弊
1988年の瀬戸大橋開通で四国に中央王手の資本が参入し、ほどなく売り場面積は倍以上になった。時はバブル絶頂期。地価高騰が中心部から人を追い出し、商店街の廃業が加速。急速な税収減となっていくが、インフラ整備は拡大路線。財政破たんを起こした。
古川氏は「イベントで人を集めても売り上げは上がらなかった。欲しいものがないから人が来ない。諸悪の根源は郊外大型店や自治体ではない。中心街活性化を阻んでいるのは商店主自身」と指摘。再開発に乗り出す。土地の所有権と利用権を分離し、商店の入れ替えを断行した。
定期借地権を活用
荒業だが、地権者は『新陳代謝』を選ぶ。同組合は第3セクターの「まちづくり株式会社」を立ち上げ、定期借地権で60年土地を借り受ける手法をとった。街を七つの区画に分け、それぞれ役割を持たせた。医療・介護、市場、温浴施設などを生活者の目線でコンパクトに整備。まちなか居住の促進で固定資産税増を図るなど、公費投入の効果を示して補助も受けやすくなったという。
「大和撤退表明は丸亀町にとっての瀬戸大橋開通と同じ。再生のチャンスと捉えて。小さくても成功例を一つ作れば連鎖的に流れを生み出せる」。官民連携の土台がすでにある新潟市はうらやましいとし、委員をはじめ参加者は熱心に耳を傾けた。
「丸亀町は奇跡ではない。コミュニティ(近所づきあい)を大切にし、『やる気』ではなく『本気』になったから実現した」と総括した。
会議は、今後数回にわたりアドバイザー講演を中心に事例収集と具体策の提案を行い、3月中旬には中間報告を取りまとめる。次回は12月9日、京都府立大学准教授の宗田好史氏が講演する予定。
【写真=講演後には質問が飛び交った】