昨年3月11日の「東日本大震災」の発生から1年を迎え、日刊建設タイムズ社では「特別企画」として、千葉市の熊谷俊人市長と千葉市建設業協会の内藤栄男会長との対談を行った。
対談は、両氏による東日本大震災の「検証」と「今後の方策」を中心に展開。
この中で熊谷市長は、千葉市地域防災計画における「初動体制が不十分だった」と総括したうえで、災害発生から「72時間」までの職員の初動体制を見直しや「災害対策機能の向上」を図ったことをはじめ、市民向け情報発信や「足元の報道機関」との協定の見直し、「危機管理センター」に対する考え方などに言及。
一方で内藤会長は、千葉市に対し「基礎体力があり、経営に優れた技術力のある企業が生き残るため」の「信用力と技術力が一番に問われるしっかりとした入札制度の構築」を要望。また、会員における「建設業であるからこそ提供できる情報の市民への発信」「市民一人ひとりと協力して『万一の有事』に備えた意識を持った行動」の大切さを強調した。
東日本大震災により千葉市では、特に美浜区において「液状化現象」により住宅が傾くなどの被害が発生し、昨年3月24日に美浜区に災害救助法が適用。12月31日現在での全体の住宅被害状況は、全壊が29棟、大規模半壊が244棟、半壊が354棟、一部破損が1930棟。このうち液状化による被害は、全壊が21棟、大規模半壊が243棟、半壊が334棟、一部破損が889棟となった。
また、公共施設等の被害は、道路約44㌔㍍、橋梁7橋、下水道約7㌔㍍、公園等75公園、小・中学校等150校、保育所15所などで、被害額は概算で約89億円にのぼった。
一方、千葉市建設業協会では、東日本大震災が発生した3月11日夕方、千葉市との災害協定に基づき、千葉市中央・美浜土木事務所から同協会防災隊長の会社に、液状化被害による災害出動要請が入った。美浜区における液状化現象は、同区内市道認定路線約600路線のうち、約300路線(延長約4km)に被害を与えた。
一面が砂地と化したJR海浜幕張駅や駅前バス通りをはじめ、黒砂水路沿いの千葉新港線においては「帰宅の足」を確保するため、通信網が途絶えた中で連絡を取り合い、夜通しで土砂の撤去作業にあたった。
翌12日(土曜日)の早朝からは、前述の3か所に磯辺7・8丁目の住宅地区の公道部分を加え、14日(月曜日)まで常に20社余が「昼夜兼行」で出動。13日夜までに海浜幕張駅前、14日夜までに新港地区、その後も19日(土曜日)までの9日間連続で復旧作業を敢行し、前述の4か所を含めた磯辺地区を中心に、美浜区全域の応急復旧工事を完了させた。
(2面に熊谷市長と内藤会長との対談内容)
(1面参照)
司会 千葉市では、2010年3月に「千葉市地域防災計画」の修正を行っておりますが、その1年後に発生した東日本大震災を受けての検証結果はどのような内容でしょうか。また、次への備えとなる「地域防災力の強化」に向けて市長のお考えをお聞かせ下さい。
熊谷市長 まさしく「ここが震災における我々の教訓」だと思っている。計画はあれど、実際に実行性のあるものでなければならない。防災訓練の時も「マニュアルが有事に対応できるように」と口を酸っぱくして言ってきた。普段から有事に備えている建設局や土木事務所、消防局などは、ある程度その通りに動いてもらえたと思っている。
ただ残念なことに、それ以外の部署においては、マニュアルが十分に機能しきれていなかった点がある。我々は震災対応をしながら、その一方で「反省」と「総括」を進めてきた。
特に「初動体制が不十分であった」ということで、災害が発生してからの「72時間」までの職員の初動体制を見直し、災害対応機能の向上を図った。
見直した点は、まず「指揮命令系統をさらに明確化する」ということ。従来、市民局にあった危機管理部門を、危機管理に対応するには、例えば人事上の措置や人員の動員をどうするかなど、制度的若しくは人事上の様々な特例措置をしていかねばならないということで、「総務局」と「市長直轄」に見直し、防災部門を危機管理課と総合防災課の2つの課に分けて、いざという時の統括機能は「危機管理課」に集約した。
今までは普段の防災行政を担うところと、いざという時に動くところが一つの課だったものを分離し、総務局長が災害対策本部の事務局長になることで、全庁を統括・調整できる権限と組織を作ったことが大きいと思う。
具体的な内容としては、災害対策本部の事務局が一番重要となってくるが、ここの人員が足りなかった。現場の一部の部署では人員が余っていたが、それを回す人員が足りなかったことから、本部事務局の業務を明確化し、人員を「40人体制」に増強した。
また、前述の「72時間」までに具体的に何を行うかという、時間経過ごとのプログラムを作成した。
「2300人体制」に区対策本部を倍増
今回は美浜区が大きな被害を受けたたが、現地の対策本部、我々で言えば「区災害対策本部がしっかりしなければいけない」ということで、ここの人員を従来の1000人体制から、6区で「2300人体制」に増強し、現場である程度対応できることにした。
情報収集にも色々と課題があったことから、最初に被害状況をすぐに把握出来るような「チェックシート」を作った。また、以前に整備した防災無線についても、高層マンションやビルが増えたことで、電波が届きにくい個所があるなど、実際に機能していないエリアがあった。そういったエリアを対象に、電波を強力にキャッチできるアンテナを整備した。
防災無線の操作卓が本庁舎の8階にあったが、高層化による現在のビルやマンション事情から、その高さでは電波が遮られることが多いため、それをさらに高いポートサイドタワーの高層階に移し、ある程度、難聴エリアを減らす対策を講じた。
一方で「花見川区や美浜区に電波が届きにくい状況」が確認されたことから、それらの対応として、1か所からの送信ではなく、無線の発信基地をもう1か所作り、二重に送信することにした。これにより、移動中の車からも無線が受信できるようになった。
震災直後に「エリアメール」を導入
市民向けの情報発信も課題である。市では「安心・安全メール」というものを発信している。それに加入している市民には、ある程度の情報が提供でき、インターネットやツイッターでも情報発信したが、やはり「それだけでは足りない」ということが分かった。
そのため、震災後直ちにNTTドコモの「エリアメール」を導入した。これは「千葉市内にいれば強制的にメールを送ることが出来る」というもので、避難所などの情報を発信出来るようにした。auやソフトバンクも今年から順次対応する話を聞いているので、我々としては、携帯電話を持っている方々に対しては、警告なり情報発信を一斉に行えるとは大きいと思う。
携帯電話を使わない方々に対しては、コンビニや郵便局などを活用しての情報発信を考えている。ちなみにインターネットで出していた時も、図書館や公民館にプリントアウトして置いておき、それを見て情報を得られた方々もいる。それらをもっと細かい単位で進めていく考えでいる。
より身近な「足元の報道機関」と協定見直し
他方では「報道機関の誤算」があった。例えば千葉テレビと防災協定を結んでいたが、東日本大震災による被害状況や緊急復旧対応について、枠的に「千葉市のことのみを具体的に発信する余裕がない」ことが分かった。全国向けの民放はなおさらだった。
そういった意味から、実際に被害が起きた時に、「給水情報」などの我々から発信したい情報を重視できるラジオのBayFMやケーブルテレビ千葉など、「足元の報道機関」との協定の見直しに着手した。
避難所については、ここまでJRが動かないというのは我々としても想定外だった。一時避難所等を含めて、相当な帰宅困難者が出た。東北の状態をみると、長期化すると行政のみで避難所を運営することは、人員上もコミュニティ上も厳しくなってくることから、少なくとも地域の方が避難している場合は、ある程度、地域のコミュニティに根ざした運営をしなければ長持ちしないことが分かった。我々としては、避難所を「地域の方々が立ち上げて運営していくスタイル」を取った方が良いだろうと考えている。
このため、普段から地域の方々に避難所運営委員会を立ち上げて頂き、いざという時に誰が仕切るのか、どのような考え方で整備していくのかに加え、備蓄品についても自主的に揃えて頂くなど、行政が行うことの「プラスα」を地域で考えてもらうことを進めていきたいと考えている。
津波や液状化に対する新たな被害想定に対して我々としては、それらを全面的に見直し、新たなハザードマップを作成するとともに、津波避難ビルも増やしていきたいと考えている。国の中央防災会議を待たなければならないもの以外、我々が決められるものは順次、見直しを進めている。
内藤会長 色々なことを想定して進めて頂いているが、何よりも大事なことは「訓練」だと思う。今回の場合は、普段から「台風の災害時」や「雪害」に備えて、当協会の各区防災隊や除雪隊が出動していることから、その部門が一番早く動けたと思う。端的に言えば、震災当日の夕方から夜にかけて、各建設部局もしくは土木事務所から、直接美浜区防災隊長のところに連絡が入り、その部隊が液状化に対応できた。
熊谷市長 その通りだと思う。今回の大震災で東北の被災地の組長からも「普段出来ていること以上のことを緊急時には絶対に出来ない」と言われた。やはり「普段から緊急時にやらなければいけないレベルのことをやらなければ駄目だ」というが我々の教訓である。
司会 これらの地域防災計画の見直しや、前述の市長の「地域防災力の強化」に向けてのお考えを受けて、市との「応急対策に関する業務協定」を締結する協会としては、今後、どのような役割を担っていくことになると思いますか。また、そのためには何が必要だとお考えですか。
内藤会長 非常に大きなテーマで中々抽象的な問題だが、我々協会にとって最も大切なことは、千葉市に住む市民の皆さんに対して、安全で安心した暮らしが出来る環境づくりに協力していくことだと思う。社会的なインフラの整備にも貢献していかねばならないが、今回の災害に対しては、市民一人ひとりと協力して、「万一の有事」に備えた意識をしっかりと持ち、それに対処しなければと思う。
そのためには、建設業であるからこそ提供できる情報なども市民に発信していきたいと考えている。
昨今の「コンクリートから人へ」という状況の中で、建設業が非常に疲弊してきた。今回の大震災において「一市民」として感じたことは、当協会を含む建設業者がしっかりとした基礎体力を持って運営していかなければ、「万一の時に市民のためになれない」と感じる。中々こういった時勢で公共工事も厳しいが、そのためには「筋肉質な企業」を作っていくことが求められる。
信用と技術が問われる入札制度
基礎体力があり、経営に優れた技術力のある企業が生き残るために千葉市にお願いしたいことは、「入札制度をしっかりと作ってほしい」ということである。これまでの公共工事の入札の場合は、「安いところが取る」というものが多かったが、最近は国土交通省においても、品確法の絡みの中で、価格ではなく技術のあるものが重視されつつあると思う。建設業の場合は、入札後にものを作る訳であることから、その信用力と技術力が一番問われるのではと思っている。
例えば、自分の家を造る時に見積もりを取った場合、果たして「見積金額の一番安い業者を選ぶか」ということになる。やはりそういった意味では、「技術のある」「良い家が造れる」ところが最低条件となり、その中で安い業者を選ぶというのが一般的だと思う。金額のみの競争ではなく、品質の良い市のためになるものを造る業者が生き残ることが一番大切だと言いたい。
入札制度については、国でも「一度決めた方針を壊してまた次の方針」という試行錯誤を繰り返すなど、中々難しい問題だとは思うが、千葉市においてもその辺をよくお考え頂き、技術力のある地元の企業が生き残れるような制度を作って頂きたい。
本庁舎とセットで(仮称)危機管理センターを検討
司会 次に熊谷市長にお聞きします。2012~14年度の3か年で具体的に取り組む第1次実施計画事業(案)の中に、「(仮称)危機管理センターの検討」が盛り込まれております。その内容についてお聞かせ下さい。また、その設置場所は現市役所庁舎内か別の建物なのか、さらに将来的な市役所庁舎の建て替えの際には、それらを一体化して整備するお考えでしょうか。
熊谷市長 我々も危機管理センターに「どのような機能が必要なのか」等について研究を進めているが、この問題は「本庁舎のあり方と不可分」であり、ほぼセットであろうと考えている。
現在、議会棟も含めて、「この本庁舎をどうするか」という議論を進めており、そのあり方と連携して検討を進めていく必要があるだろうと思う。
東日本大震災の発生時に、本来は市役所本庁舎8階が災害対策本部や危機管理センターになる予定だったが、実際には震災の被害を受けて8階は酷い状況となり、とても災害対策本部を立ち上げる状況ではなかった。それが「初動体制」における我々の課題の一つである。
今後、それ以上の地震が起きた場合に同じ場所で立ち上げることは「まず不可能」な状況から、暫定的にポートサイドタワーの12階で行うことを決めている。これは、あくまでもベストではなく「ベターな選択」であり、いずれにしても本庁舎をどうするのか、建て替えるのかも含めて検討した中で、「危機管理センターをどこに置くか」という話になると思う。
他の政令市や我々の検討からも、本庁舎と別の所に設置するのは「あまり可能性としては高くはないだろう」と。いずれにしても、2012年度で一定の結論を出していければと考えている。