震災から早くも1年以上が経過した。この間、県では地元建設業者らとともに応急工事を進め、早い段階から復旧が進んでいる。だが、復旧で終わりではない。震災からの教訓を、きちんと検証し、計画立てて復興へつなげていくことが急務だ。その舵取り役を担うべく県土木部長に就任した小野寺誠一氏。小野寺氏に、復旧復興への考えや新たな入札制度、地元建設業者との関わりなどを聞いた。
―本年度の事業方針について。
災害が少ない県と言われていた中、県職員、また地元建設業界などは震災当初から非常に良く頑張ってくれた。そのため比較的早くから復旧が進み、周りからも評価されている。しかし復旧も完全ではない。終わっていない箇所の復旧を出来るだけ早く進めていく。
それと、茨城の元気がなくなってきた部分への対処も大切。企業立地件数や観光客が減少したことを踏まえ、復旧するとともに元気を取り戻したい。そういった意味でもインフラ整備での貢献が必要。圏央道や東関道、茨城港、鹿島港といった重要なインフラ整備を引き続き進めることが必要。
―復興への考え方は。
県土を元の状態に戻すだけでなく、今回の震災を踏まえ、より良い、災害に対して強い県土づくりを進めていかなければならない。筋肉質で怪我しにくい柔軟な体にしていくイメージ。そんな県土づくりにしていきたい。
―次のステップとなる復興のプランについて。
復興のプランを本年度の早いうちに立てていく。復興みちづくりアクションプランも、まさしく計画づくりの一環。津波に関して言えば、茨城沿岸津波対策検討委員会で、浸水区域の設定やL1津波対応の波高など、計画をつくった上で進めていく。
それとまちづくりも、都市計画の観点から防災まちづくりの指針となるようなマスタープランをつくり、それに基づいて復興を進めていきたい。
また大災害が起きた時にも、すぐに対応できる体制強化が必要。まず、県庁側で防災体制を強化していく。併せて、関係機関との連携体制を整えていくことが重要。大震災では(社)県建設業協会などの業界団体が、被災直後から頑張ってくれた。地域の安全を守る地元建設業を、引き続き育成することが大切。
―通常事業については、どう進めていくか。
土木部の公共事業予算も、前年度比2%減程度。復旧予算は前年度に大部分を予算措置している。そういう意味では通常事業もそれほど大きく落ちていない。復旧に合わせ、通常事業もきちんと進めていく必要がある。復旧復興と通常事業の2本立てで進めていく。
―今後、事業を進める上で懸念されることは。
東北の方の復旧が本格化してくると、業界の技術者・技能者はもとより、資機材などの調達環境の変化が心配。常に状況を見ながら、事業に遅れがないように対処していきたい。
―県西地区の官製談合を踏まえた一般競争入札の拡大について。
震災を受けて社会資本整備の必要性が高まる中で水を差す形になってしまった。発注者としても反省し、コンプライアンス(法令遵守)の徹底など、きちんと対応していく。
その一環として、改善措置が出された入札制度の見直し。透明性を高めるため、6月から建設工事の一般競争について3000万円以上を1000万円以上とし、地域要件も拡大する。
ただ、一般競争を行ったことのない業者も対象となるため、混乱が考えられる。できるだけ混乱が少なくなる対処を、6月までの間に行っていきたい。例えば一般競争に初めて参加する業者に制度の講習会を行うなど指導していきたい。運用後も、問題が発生した場合には迅速に対応したい。
―震災で活躍した地元業者への評価。
再度災害が起きた時に頼りになるのは地元の業者。引き続き頑張っていける環境構築が必要。
建設業が疲弊するなか、いかに若い人を雇い、技術力を養い、機械など資機材を保有してもらうか―。そういったことを念頭に、業界団体とも知恵を出しながら考えていきたい。
国交省では、若手入職者の障害ともなっている保険未加入の改善に動き出している。建設機械の保有でも、経審での加点などを行っている。国や他県の動きも見ながら、どういった方法があるか、今後いろいろと勉強していきたい。
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1966年3月20日生まれの46歳。北海道大学工学部土木工学科卒。
国土交通省総合政策局の建設施工企画課企画専門官を経て、昨年4月に県土木部の都市局長に就任。88年、旧建設省に入省した時は配属がつくばの土木研究所。岩手県一関市出身。つくばエクスプレス開業時、つくばみらい市みらい平に一軒家(県有地)を購入。
「まさかその時は茨城県に赴任するとは思いも寄らなかった」。妻、長男と3人暮らし。現在、水戸市に単身赴任中。
趣味は自宅近くに借りた畑で家庭菜園。都会と田舎暮らしを合わせた『つくばスタイル』を実践中。まち歩きも好む。
読書は歴史小説など。黒岩重吾や司馬遼太郎の小説を好む。
【写真=小野寺県土木部長】