㈱美浜エステート(本社・千葉市、松山淳一代表取締役)の「市原市椎津太陽光発電所」が昨年10月に起動し、現在、発電した電力の全量を東京電力に売電している。同発電所の年間予想発電量は、一般家庭約600世帯分の年間電力消費量に相当する約230万kw。松山氏が代表を務める㈱市原組が造成、12年に県内初のメガソーラー発電所を開所以来、太陽光発電量が総計で122MWを超えた新昭和㈱(君津市)が、パネルの設置や電気設備等を担当。県内では初めて、建設企業が単独で太陽光発電の実現化に漕ぎ着けたとともに、太陽光発電設備における金融機関の融資と信用保証協会の承諾が得られた事業として耳目を集める。太陽光発電事業への参入を決意した松山社長をはじめ、蓄積した膨大なノウハウをもとに同事業への参入をアプローチした新昭和の鈴木達也・取締役特建事業本部長、いわゆる主任技術者として、基本的に電気管理全般を担当した同社の菅野哲也・第一種電気工事士、造成工事における現場代理人を務めた市原組の佐藤隆行・工事部課長らによる「関係者の証言」を集め、完成までの道のりを検証した。 (5回連載/第1回目)
証言・松山淳一(㈱美浜エステート代表取締役/㈱市原組代表取締役)
――この度、こちらでご覧いただいている2000kwの見事なソーラー発電所が完成致しました。これもひとえに、みなさまのご協力の賜物だと感謝しております――
昨年10月2日。総事業費7億円をかけ、市原市椎津字京田脇地先の4・7ha(1万5000坪)の土地に完成した「市原市椎津太陽光発電所」の落成式で松山は、関係者を前にあいさつ。この事業を開始したきっかけとして「日枝建設、成風産業、行木農場が所有している土地と、兼ねてから当社で所有していた土地がこちらにあり、以前、残土埋立工事を行っていた」と説明。その遊休地対策として「何か良い活用方法はないか」と模索している時に、日枝と成風の両社からのアドバイスに加え「新昭和の鈴木本部長から『ここでソーラー発電をやってみないか』という誘いを頂いた」と回顧。
地元の3自治会に対する説明会を開催した時のことについては「地元の方々からこの自然エネルギーに対する賛同とともに『是非この場所で長い間にわたり、地域に根付いたソーラー発電を安全に行ってほしい』という支援を頂けたことが、事業参入への後押しとなった」と続けた。
今後20年間、240か月にわたり東京電力に売電することについては「これも先般の東日本大震災があり、福島の第一原発があのような痛ましい事故を起こしたことが、全国各地でソーラー事業を盛んにしたきっかけとなった。当社としてもこのソーラー事業を通して、社会に何らかの形で貢献できれば幸い」と述べ、松山はあいさつを結んだ。
「やらなくてはいけない義務」
「太陽光発電の話がなければ、それこそ東日本大震災が起こらなければ、この土地は遊んでいるままだった」。落成式の数日前、本紙の取材に対して松山は、2012年11月に新昭和の取締役特建事業本部長の鈴木からの連絡をきっかけに、自身の中で「事態が大きく動き始めた」ことを次のように明かした。
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当時、避難区域などの映像をテレビで見た時に「原発は何もなければ安いが、何かが起きた時は割高だ」と確信した。ただの割高ならばともかく、電力料金はそこまでのコストを見込まないで設定されているので、全部、国民が税金で負担することになる。ならば最初から多少コストが高くても「もっと安全な自然エネルギーを作るべきではないか」と感じた。
「使命感」が後押し
自分は政治家ではないので表明はしていないが「脱・原発派」である。国全体が脱・原発に向かわなければいけないと思う。福島県の原発周辺の映像を見て「脱・原発と思わない人がいるのか」を問いたい。正義心のある人ならば、あの映像を見た時に「絶対に自然エネルギーにシフトすべきだ」と思うはずである。ただ、コストやパワーが必要になることから、誰にでも出来ることではない。
社会における金融機関の役割は
たまたま自分には土地があり、融資を受けるだけのエネルギーと信用力があった。出来る人間がやらなければいけない。それは「やる権利」ではなく「やらなくてはいけない義務」だと思った。これから新たに7億円の借金をして行うのはどうかとも考えたが「出来る人間がやるべきだ」という使命感に後押しされ、事業に踏み切った。
信用保証協会や銀行の人たちに対しては、福島県の映像を見て「何かをしなければと思うのは自然だ」と訴えた。金融機関はそれらの志を持った事業者に対して「支援する立場」にあるはずなのに「それにブレーキをかけるようなことをしてはいけない」とお願いした。それが「社会における金融機関の役割」だと。その結果、県内では初めて、太陽光発電設備における金融機関の融資と信用保証協会の承諾が得られたと思っている。〈敬称略〉