県自然環境課は中禅寺湖畔の旧イタリア大使館夏季別荘、西六番別荘跡、金谷ボートハウスなど歴史的施設の活用を視野に入れた『中禅寺湖周回線歩道拠点エリア整備基本構想策定調査報告書』をまとめた。自然公園核心地域総合整備事業(緑のダイヤモンド)で整備中の中禅寺湖周回線歩道(北岸・南岸コース)の利用拠点施設として再整備を図るもので、千手ケ浜地区には新たに千手自然観察館(仮称)の整備も計画している。旧イタリア大使館別荘は、昨年度に取得済み。西六番別荘跡、金谷ボートハウスについては、来年度までに購入したい考え。詳細な活用・整備計画は来月にも設置する検討委員会で煮詰めていく。報告書作成はとちぎ総合研究機構(宇都宮市中央三-一-四)が担当した。
県では八年度と昨年度の二カ年で、奥日光中宮祠地区を訪れた人々にアンケート調査を実施。行動パターンや意識の現状を分析した。その結果、中禅寺湖畔に求める施設として八割以上の人が遊歩道の整備と回答。湖畔でのレクリエーションの充実を期待する声が大きいことが分かった。
そのため、『奥日光をまるごと・こころとからだで楽しむ・てくてく歩くフィールド』をコンセプトに掲げ、国際的避暑地としての歴史を物語る施設を湖畔周回の拠点施設として再整備。観光客に魅力ある日光の姿を印象付けたいとしている。
旧イタリア大使館別荘は、中禅寺湖南岸に位置。昭和三年ごろに大使館の専用別荘として建設されたもので、聖路加病院やフランス大使館、東京女子大などの作品で知られる、米国の建築家アントニン・レイモンドが設計を手掛けた。
建物は主邸(二六〇・二九㎡)、副邸(九七・五八㎡)、管理人棟(五一・四八㎡)、屋内駐車場(二七・二㎡)で構成。外観には、ふんだんにスギ皮が使用されているほか、主邸の両側にはマントルピース(暖炉の飾り棚)が設けられた貴重な建築物。
構想では施設の配置・外観などを、できる限り当時に近い形状で復元。①環境保全展示②歴史文化展示③交流④休憩サービスの四つの機能を持たせ、歴史・文化の展示、休憩、軽食サービスなどを提供する。
西六番別荘跡は長崎のグラバー邸で有名な英国人トーマス・B・グラバーが建てた別荘跡地で、当時英国紳士のたしなみであったアングリング(フライフィッシング)を、ここを拠点に楽しんでいたという。
グラバー死去後、大正末期に米国人貿易商ハンス・ハンターが同別荘を購入。昭和二年にグラバー別荘を壊し、大きな別荘を新築した。ハンターは『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』のクラブハウスとして使用。日本政府高官や在日外交官の社交の場として、賑わいを見せた。しかし、昭和十五年に主要部分は火事により焼失。二年後に太平洋戦争が勃発したため、同倶楽部も解散。歴史に幕が引かれた。現在同地は二荒山神社、農水省、大蔵省が所有している。
構想では、同地に西六番別荘記念館(仮称)を建設。当時の歴史資料の展示をメーンに、軽食の提供やおみやげ販売コーナーなどを設ける。機能構成は、①修景公園②休憩サービス③展示メモリアル④親水⑤展望を持たせ、階段広場やポンツーン(浮き桟橋)、展望広場、芝生広場も整備する方針。
湖畔北岸の菖蒲ケ浜近くに建つ金谷ボートハウス(木造二階建て延べ八〇三・〇八㎡)は、昭和二十二年に建設された。連合国軍総司令部(GHQ)のアイゼンハウアー参謀総長(後の米国大統領)、マイケルバーガー中将(後のコロンビア大学総長)などの高級幹部が保養に訪れたという。現在は『金谷ボートハウスレストラン』として、金谷ホテルが所有している。
構想ではボートハウスとしての機能を重視しつつ、①親水フィールド②休憩サービス③展望メモリアル④展望空間⑤湖上利用の機能を持たせ、展望スペース、展示スペース、案内コーナーなどを整備する。
ミズナラ、ハルニレの巨木が広がり、ツキノワグマやニホンジカの大型獣が生息する千手ケ原一帯は、『自然のサンクチュアリ』と位置付け、『千手ケ浜自然観察館』(仮称)を建設。自然のすばらしさ、大切さを学ぶ場を提供する。
観察館には①観察②学習・研修③交流④滞在・休憩の機能を持たせ、ライブラリー&レクチャールーム、野生生物生態のモニタリング、交流スペース、滞在スペースなどを整備する。
千手ケ浜周辺は現在、マイカーの乗り入れが規制され、ハイブリッドバスが運行されており、観察館にはバスの待合所を設けて観光客に対応する。
これら拠点施設整備についての具体的な内容については、地元の人たちをメンバーに加えた『検討委員会』を来月にも発足させ、意見・要望を吸い上げながら詳細を煮詰めていく考え。