洪水から新潟市街地を守り続けてきた関屋分水路が10日で、通水開始から50周年の節目を迎えた。同日には塚田一郎衆議院議員や中原八一新潟市長、地元関係者などが出席して記念セレモニーが執り行われた。50年前の通水式が再現され、中原市長や内藤正彦北陸地方整備局長らが通水ボタンを押して新潟大堰のゲートをオープンすると、大きな拍手が巻き起こった。
北陸地整の内藤局長は「次の50年も関屋分水が大河津分水とともに越後平野の治水の要として新潟市を水害から守り、地域の発展に寄与するものと考える。地域の安全・安心な暮らしを引き継ぐべく、事業の推進、適切な管理に向け全力で取り組む」と決意を新たにした。中原市長は「関屋分水の通水開始から50周年の節目を迎えることができた。水の都である新潟を象徴する景観を作り出しているのは、大河津分水と関屋分水である。歴史と役割を認識し、水の恵とともにある新潟の暮らしを次の世代に引き継いでいく」と誓った。
また「せきぶん誕生祭」も同時開催され、降雨・地震体験や、信濃川のVR体験、はたらく車の展示、乗車体験など多くの来場者で賑わった。関屋分水路近くで、「新潟海岸金衛町第4号ヘッドランドその7外工事」を請け負う植木組では、港湾工事使用される水中ドローンやヘルメット式潜水器具など、昔と最新の潜水工事で使用される器具を比較展示。北陸地整の内藤局長も重いヘルメット式潜水器具を装着し、施工の苦労を体験した。
関屋分水路は、低平地のため、水はけが悪い新潟市内で信濃川の水を日本海に流す放水路。延長は約1・8㎞、川幅は240~290m。計画流量は約3200立方で、150年に1回の確率で起こる洪水を安全に流下させる。1964年に工事着手し、7年かけて掘り上げ72年に通水を開始。事業費には約190億円が投じられた。
関屋分水路には5本の橋が架かり、信濃川の水量を調節するため、本川には信濃川水門、分水路には新潟大堰が設けられている。掘削土砂は、当時建設が進められていた新潟バイパスの盛り土などに利用され、関屋分水路の整備が、新潟市の都市基盤の発展を進めた。
【写真=50年前の通水式を再現、内藤局長が潜水器具を体験】